海の向こうで戦争が始まるぐらい、総理大臣は遠い

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

アフガニスタンがタリバンに制圧された。
アメリカの撤退が決まった時点でスムーズに政権が変わる所がなんとも言えない複雑な所だ。
ベトナムと同じように政権は変わってしまったが、アフガニスタンの場合はベトナムとは違う。
タリバンに変わることは誰の意思なのだろう。
現地の人のそう言う部分は見えてこないので、アメリカ寄りの情報に使っている側からすると、理想と言われていたことと実際に起こっている事の違いにためらう。
と言うか、理解ができなくなる。

リビアの時も、アメリカが干渉して民主化が一気に進んだように見えたけれど、その後の仮の軍事政権の動きが人々の生活に混乱を生んだ。
そして今はどうなっているのだろう。

カダフィー大統領時代も市民の生活は、それなりに安定していたと聞く。
イラクの動乱も、国連軍が来る前は安定していた。何もおきなければ、ハムラビ法典の石柱も盗まれはしなかったろう。
アメリカによって、戦後の日本は変わった。
少なくても幕末以前からのつながりをアメリカに負けることで断ち切り、新しい日本に変わるきっかけにはなった。
だからアメリカ支配が悪いと言うことではないし、それぞれの紛争についても、アメリカ視点では人間的な全員に基づいて行われていたと信じる。
ただ、ベトナム戦争は社会主義との対立とは言え、ベトナムのナショナリズムには敬意を持って評価するべきだと思うし、第二次世界大戦時のナチスから支援されていたスペインについても、考え深い物だと思う。
スペインがナチスからの支援無く革命側に統一されていたら、スペインの歴史的な遺産は失っていたと思う。
でも、写真家のキャパもピカソも反ナチス側の人達で、そう言う影響からか、スペインを守り抜いた国の人達は複雑な思いで戦後の時代を生きていたと思う。
何が良くて、何が悪いか。
それはその国を作る人達が決めること。
日本を明治維新に導いたのも、第二次世界大戦に向かったのも、そして戦後の日本を作っているのも、その時代に生きた日本人の選択で、それは誰のせいでもない。
だから、いま、「誰が悪い!!」ってのも、正しくはないし、歴史から、正しいと思いなが後世の見解からは、評価が悪いこともある。


[デカいココアシガレットが入っていることを期待したのに、標準品が10個入っていた。・・・違う。]

だから、いま、日本の歩みが正しいのか、あらゆる可能性や選択肢を考えてみる必要はあると思う。
自民党の党首が変わる。
投票権は、党の構成員しか参加出来ないけれど、政党政治の日本では、そのまま日本の首相が決まることになる。
国の代表が自分達とは関係のない環境で間接的に決定されるわけだ。
政党を選んだのは、国民の多数決だから、その政党の方針の中で、誰が選ばれても大きな違いは無いのかもしれないけれど、遠い感じはする。
この距離感が、「今の社会は、誰が悪い!!」って言ってしまう理由だとは思う。

でも、ホント、
日本の首相なのに遠く感じる。
いつもは衆議院選挙の直後だから、何か乗りで「首相はだれか??」って、盛り上がった感じはするけど、本来、日本の首相の選択ってシステムは、こんな感じなんだよな。
無知だったというか、だまされていたというか・・・やっぱり把握が甘かったんだと思う。そろそろ、仕組み自体、見直しが必要じゃないか?

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