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■台湾中国プロジェクト
ちょっと怒り気味なので、いつもにまして、さらに増し増しで。
[2019-6/20] 4日ぶりに書き込みを見直したら、結構な記述の矛盾がある。
怒りにまかせて書くと、こうなるね。ってことで、一部修正した。
仕事を辞めたきっかけの一つに、得意とする業務ではなく全く別の仕事を
アサインされたこと。
普通なら受け入れるのが当たり前だけど、仕事を選んで転職人生していた
わけだし、それは無いでしょ、って感じもあった。
まあ、年でもあるし、もうなんかどうでも良くなって、やめてしまった。
野良的な仕事に回されたけど、我慢して働いていても良かった。
でも、なんかノリもあって、やめてしまった。
会社の仕事の進め方、すべてが嫌になったからだとも思う。
そもそも、その前のプロジェクトが失敗に終わったため、それに関わっていた
私が悪いというイメージもあったからだとは思う。
マネージメントは別な人なのに。
やめる前のタイミングで、社内では開発案件が進んでいた。
本来は私がアサインされるべき作業だったけれど、それはなく、
全くその仕事に関わっていなかった。
試作やプリプロダクション(量産版試験生産)を作っていることは知っていたし、
回路図やJATEや電波法の試験成績なんかは勝手に見たけど、関わっていないので
口出しはしなかった。
もとより私がアサインされたのは、野良仕事だし。
ガテンな毎日を送っていたので、ヘルメットや日よけをチョイスするのが日々の
楽しみ。そんな毎日が始まっていた。
でも、行われていた開発案件プロジェクトはヤバい状態。
誰かの責任にしないと終わらない。
で、人柱として埋められてしまう事を嫌って、早々に退職した。
人柱はその前のプロジェクトで前例があるからね。
前回は、ものは作ったのに、ソフトの担当がなんか言い始めて、結局まるっと
見捨てられた。
肝心のソフトの人は「おいらは別な作業をします。」って、別な案件をやって
いたけど進まなくなり、結局ドロン。
その瞬間、
「ああ、日本の会社は、もう、何も作れない時代になってきたんだ。」と、
実感した。大抵は、ここまで作ったから、取りあえず走らしてみて、
止まったら信号を調べるから・・・・って進んでいくけど、
もう、そう言う作業の面倒な予感を感じた時点で、逃げ出す始末。
デバックって合宿は、これから始まるのに・・・。
というのがかつての開発だけど、最近のソフトエンジニアは、マックだけを
使う仕事が好きみたいだ。マックのようにスマートに。
まあ、その人だけと思うけど。
ただ、マック使いを見ると、気持ちが悪くなるトラウマはしっかり刻まれた。
新しく始まったプロジェクトも前回のプロジェクトも、
マネージメントは同じ人だから、前のプロジェクトと同じように
「私はこれが出来ます。」って一部に有名といわれている人を連れてきて
アサインすれば、業務が進むと言う勘違いは消えないので、このまま進行したら
ヤバい気運がいっぱいだった。
幸いな事に、前回の失敗は「わたし」みたいなノリで、左遷ぽい状態で
アサインされなかったので、作業に加わることはなく、ガテンな労働の毎日を
アサインされ過ごしていた。
まあ、それも仕方が無い。と思い、
「残りの人生は野良仕事に捧げよう。」
という気持ちだったし、ヘルメットでも作って生きようと思っていた。
でも、進んでいる開発プロジェクトの後始末をやらされて、殺される可能性も
あるので、会社を辞めた。
しかし、運命とは数奇な物で、辞めて1年半後のあるとき、
その物体はひょっこり目の前に現れた。
「これが全然ダメで、代品を探しているんですよ。」
いや、それに関わりたくない。マジで勘弁してください。
逆に試作が2年越しで続いていたなんて、マジで驚く。
で、関係者の知り合いのところに、動作の解析が来ていると聞いて、
そこに連絡してみると、
[私が抜けたから、調査できなかったので、測定してと依頼されたらしい。]
しかも電源関係の調査。デバックの初歩の一歩の部分。
「ふざけんな!!!!!」
ひどすぎで、言葉も出ない。何だろう。このいらだち。
全く関係の無いところにいて、忘れていたのに。
開発の本体は、かつての有名電気メーカーの通信部門。
その母体は今や自分の体を切り売りしている。
このプロジェクトを進めている人達は、その残党。
腕に覚えがある人達は、みんな退職している。
まあ、「腕に覚えんがあった」その人達が、次の世代の人を育てなかった
というか、技術の伝授をしなかった事が悪いと思うから、優秀だった人達は、
完全に自分たちだけのために生きすぎて、会社の為には動いていなかった、
という事なんだと思う。
そこに、コンサル的な部門の人がつけいる隙を作ってしまった。
そんな原点を知らない人が入ると破綻する。
大きな会社にいたときは、サポートしてくれる人達がいるので、
自分だけで設計したと勘違いする人が多いけれど、一つの製品には
1000人ぐらいが関わっている。プロジェクトの裾を知った方がいい。
10層のブラインドピアの基板の回路設計を2人でした事があるか、
それは4人で8層貫通基板の設計をした経験があるから出来る事で、
本来そういうことは難しい。
時間的に出来なくなることが多いことは、基板屋さんに対して資料が
出せず、迷惑をかけるし、アートワーク中に口答や追加資料でカバーする。
2ヶ月間は会社に下宿して家に帰らないという感じの進行だ。
それが限界点。
そういう事を知らない人が、しゃれた装いでメガネのフレームに
こだわりを見せながら請け負い、基盤を作るとどうなるか。
作業は台湾メーカーに丸投げにすればいい。と勘違い。
台湾メーカーは、いきなり製品の形の基板を作るところからスタートする。
そりゃ、今まで似た自社製品があるから、それをちょこっと変更する。
でも日本のマネージャーは、難しい変更をいれてくる。
中国や台湾に依頼するときは、回路図で依頼しない限りは、彼らの
製品デザインを変えてはいけない。なぜなら、動く保証がないからだ。
ここがポイント。
製品レベルに作られてしまった試作基板を動作検証しようとしても、
テストポイントがないから、全く評価が出来ない。
何のためのテストポイントか、テストパットか、設計者以外には無用に
見えるらしい。
そこで設計検証レベルの基板から作り直せば良いけれど、
なぜ基板の形状が戻るかを社内で説明出来ないから、基本に返らない。
だから、
取りあえず分かっているバグを修正して、そのまま製品と同じ基板を
またつくってしまう。そして、なんか製品に近づいた気になる。
ダメだって。
だって、動作の検証をしていないまま続けても、
動かない事を繰り返し作っているだけで、不具合を調査できない。
まず、バラック基板(DVT)をつくって、その動作検証を十分に済ませてから、
生産の形状のEVTを作るステップに入れる。
ここを認識していないから、その後、基板の改版だけを延々と繰り返し、
今でも試作を続けて、計画がスタートしてから、2年を経過するなんて
ことになる。もう、悪夢としか言えない。
やっぱり関わらなくて良かった、と実感した。
多分、おしゃれな指導者は、失敗した理由をいろいろ言って、
フェードアウトし、別の仕事に取りかかるのだろう。
おいしいご飯を食べたいし。庶民と違うわけですよ。
そんなソフトウェアエンジニアに、マジで切れそうになったことがある。
顔がドラゴンボールのフリーザに似ている。
その関係で、フリーザは大嫌いです。
ソフトっていっても、アプリ開発から、webデザイナー、ドライバ開発、
マイコン開発、フレームワーク開発、HALや下回りのソフト開発とか、
全く違う世界のソフト開発がたくさんあるので、
何やってた人かが重要なんですよ。
全部出来る人なんで、そんなにいない。
勿論、システムエンジニアやプロジェクト管理を専門にやっている部隊も
いるわけで、最小で出来るプロジェクトにも範囲がある。
それを知った方が良い。
出来ないという結果は、
結局、すべてが無に帰り、頑張ったF/W開発者とか別のソフトエンジニアが
モヤもやっとした気持ちで、敗北感を味わいながら散っていく。
みんな不幸になるだけ。
もう、一部の破壊的な精神構造のプロジェクトマネージャーは、
死んでわび入れてこいと言いたい。
そんな気持ち。
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