技術部の壺の中 — Vol. 51 [生活はマルチタスク]

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

朝の電車の中では、多くの人がスマホを使っている。
ゲーム、マンガ、新聞記事、SNS、メール、そして仕事。
この小さな端末がもたらした生活革新は、大きい。
すべての行動範囲に「スマホ」という「ながら文化」を
強制導入した功績は、ラジオやテレビを超える。
まず受信が必要なことや、騒音で聞こえないということを
スマホはクリアしている点が大きい。
ゲーム、マンガ等の電子書籍関係、SNSや動画は、音が
必ずしも必要ではない。
一番必要なのは、スマホを安定して使えるポジション。
そう、俗に言う「こま犬ポジション」。扉の両側の位置。
背中が固定されているので、人が多い電車の中では、
体を固定してスマホを持つ手と操作する手の両手が使える。
そのためか、人気が高い。
まあ、座った方が最強だけど。
とにかく、みんなの心はスマホ中心だ。

その結果、人がまばらな部分と”ぎゅうぎゅう”な部分が
霜降りのお肉のように混在してる。
スマホを見ているので、あまり混雑を気にしていない。
ある人は、降りる駅を見逃してしまうほどだ。
・・・はい、やったことあります。
・・・なぜか、扉が閉まる直前に気がつく。
ブルーな気持ちで、次の駅に到着するのを待つ感じ。

現実社会と、スマホという現実が干渉しない世界の二つを
多くの人は行き来している。
一種のマルチタスク。視界もバッサリ切り替わるので、
マルチウィンドウ。
この二つの世界は、内容は同一の世界にもかかわらず、
その場では全く干渉し合わないから、始末におけない。
いま電車がどこを走っているかなんて、
スマホの中で起こっている事とは、無関係なんだ。

そして、その二つの世界はそれぞれがマルチタスクなので、
割り込みとしてのポップアップが存在する。
SNSの連絡、メール、広告のポップアップ。
ホームの発車ベルの音、車内の停車案内、歩行時の信号。
何かをしながら何かを行うというのは、それぞれの世界に
存在していて、それぞれの世界の中では成立する。

携帯電話が電話として、実社会の一部であったときは、
電話の音が鳴ったときに、携帯を使うという動作だった。
しかし、今、現実世界に対してスマホから呼び出しが
来るが、スマホの世界に没頭している時に現実に引き戻す
トリガーの存在が希薄だ。
特に、電車の中で何もしない状態を維持するときには、
現実社会の存在すら忘れているかもしれない。

外の世界に戻すためのポップアップが無いためだ。

元の世界に戻されれば、降り遅れることもない。
間に合うタイミングに意識を戻さないといけない。
現実社会、この場合は、自分がいる周囲のことで、スマホが
仮想世界と言うことではないのだけれども、今自分がいる
場所に意識が戻るのは、あくまでも自分の意識を周囲の
刺激に反応できるレベルには留める必要がある。
もしくは、スマホの中に周囲の出来事に対して反応する
「現実リターンのポップアップ」を作るしかない。

これも・・・やっぱり、AIの話になるのかも。
自分以外の存在に頼るときは、最近の表現として
「AIにやらせればいい。」って、
AIはどんだけ万能なんだよ。
まあ・・・・、スマホが周囲の音や状況の情報を集めて
「AIでお知らせすればいい。」

周囲の社会から呼び出されるのではなく、
スマホが判断して画面を切り替えたり、ポップアップを
出したり、スマホの世界から割り込みをかけて、
周囲の世界に戻すという「反対の反対は賛成なのだ」
という天才バカボン的な発想だけど、それで周囲の世界と
またつながることが出来る。不思議な考え方だ。

むしろ、今生きている周囲の世界そのものを
スマホと同じレイヤーに持っていく方が、理にかなって
いると思う。

関連ブログ
技術部の壺の中 — Vol. 18 [静寂を求めて- 電車の雑音]
技術部の壺の中 — Vol. 21 [AIの存在意義]
技術部の壺の中 — Vol. 22 [AIは、すべてを知っている] 
技術部の壺の中 — Vol. 50 [避雷針と雷の話]

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