技術部の壺の中 — Vol. 81 [メディアソースの交代??]

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

24時間テレビの芸能人の私生活が嘘だったと報道されて、見ていた人達が
お怒りらしい。
芸能人は一般とは違って契約書で仕事をしているから、番組上の面白い方に
脚色しても問題が起きにくいと判断されたと思う。実際、これが本当は違う
という事を外部に言ってしまうと、契約を結んだ本人はどうなってしまうのか、
ちょっと怖い。
かつては、「風雲たけし城」や、「サスケ」にチャレンジする番組とか、
視聴者参加型が多かった。
古いのでは、マントを掛けて「私は誰でしょう」と一般人の職業を当てる
番組なんかがあった。
いまは、ネットやSNSがある為、番組収録の待ち時間に情報を外部に出され
たりすると、番組自体を危うくするため、参加している人のリテラシィーを
コントロールする必要が有ったりと、視聴者参加型は難しい側面も持っている。
当然、リアルを加工してはいるのだけど。
視聴者は出来ない事を取り組むことで、単純な笑いや驚きに繋がるが、
芸能人がベースになると、ネタとして、もっと過激に走ってしまう。

一方で、ユーチューバー達の動画は、どれもが実際に行っている事だ。
しかしそれらは、単純に「試して見た」の延長上にいる。
その延長線上で、人が「見たい」という事を巧みに提供している。
例えば、お祭りのくじ引きを全部引いてみるとか。
高額ガチャを全部とってみるとか。
メディアの製作費の上で、ドラマのようなお金がかかることは、相変わらず
テレビ局によって制作されているけれど、ユーチューバーがお金を使う事が
できる様になったことで、更に内容がステップアップしている。
テレビ局がしてこなかったことだし、倫理的な要素で、しなかった事だとは
思うけれど、正直、作られているテレビよりは、数段見たいと思う。

フィクションは、リアルの多少のアレンジから、壮大なSFまでくくりに
入るけれど、それは増大で無いと、面白くは無い。
現実では無いから、いっそ過大な表現を求める。
脚色の無い現実では、偶発的に発生することが面白かったりするので、
小さな出来事でも驚いたり、楽しんだりするけれど、
現実では無いものを現実ですよって言って、小さな変化で大きく見せるのは
あんまりだとは思う。
そして、テレビが提供する、その小さな変化を誰も信じなくなったら、
驚きも何も無いので、テレビのメディアに、だんだん興味を持たなく
なると思う。
結果、リアルで壮大な挑戦を始めるユーチューバーに勝てなくなる。

多くの人が登場する音楽番組やドラマは、多分、テレビ会社のものに
落ち着くしか無い。最悪、それだけになるかも。

トーク番組もこの範囲では、ユーチューバーと構成や設備は変わらない。
ネットだ、地上波だという送り方の違いでは無く、メディアとしての構成が
テレビ局が持っていた設備が必要ではないというはなしだ。
ぶっちゃけ、テレビのトークはスタジオじゃ無くで、コタツに入っている
映像でも成立する。
バラエティーもその程度かも。
ユーチューバーが映像素材の幅を広げて、見る方も自由に選択しだした結果、
それぞれが作る映像が、多彩すぎで、テレビの制作側だけでは、すでに
対抗は出来ないかもしれない。電車の若者は、動画サイトの映像を見ているが、
家でそれ以外をテレビから得る意味を感じるだろうか。
そんな時代でも、テレビのねつ造が問題視されることは、テレビはまだ
期待されているのだなぁ。その視聴者を裏切らないことが重要とは思う。

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