矢印の方向

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。


電車内にあったリックサックの注意喚起。
でも、よく見ると、この絵のなかで一番問題は、スマホだろ。
スマホをしている周囲の動きに気がつかない。

よく、
「リュックを前にしなさい。」
と言われて、電車に乗る生徒は、先生の言うとおりに前にしている。
多分、足下が見えないから、かなり危ない。
電車とホームのすき間に落ちるのでは無いか?
電車のなかで、リュックを下に置くことや、荷物棚に入れる方が
正解だと思う。
後ろのリュックを前にしても、厚みは変わらないのに、
なぜみんなそれを[善]として、行うのだろう。

社会ずれしている私の視点では、なんか分からない事が
社会に多い。社会は多数決による最大幸福で出来ている。
正しいのは、多数支持。
時代ごとに、なにが正しいかは変化するので、多数派は
常に正しい。でも、違う世代の多数派には奇抜に見える。
とはいえ、多数派は常に正しいという理論は、常に正しい。

大多数の意見だから正しい。
正しい事項は、時代でかわる。

何かを正しいと思う人達の多くが、心変わりをしている事は
間違っていない。
常に正しい側にいる人の多くが、常に流動的な考えで物事を
判断していることになる。

それは、柔軟な動きであると同時に、物事の普遍性を好む人には
耐えられないことかもしれない。
でも社会は、常に周囲に優しく、多数決で進行する。

優先席に座っている人がスマホを使い、ネクタイ生存率は
レッドデータ並になり、電車の「こま犬ポジション」は、
大人気だ。
柔軟に対応が出来て、柔軟に許せる人が「普通」というカテゴリー。
それに追従出来ないと「規格外」になる。
普通というカテゴリーは、プラスとマイナスゲージの中央付近を
常にドリフトしていて、そこからはじかれた両端の人達、
いや、たまには真ん中の人も、そこにとどまることが規格外。
だから、自分は正しいと言う思いとのズレが大きいと、
社会問題として捉えられる事もあるかもしれない。
でも、あおり運転が「普通」にはならないと思うけど、
戦争が起きたら、それに近い位置まで、「普通」のポイントは
ズレていくかもしれない。

どうなんだろ。
大衆の中で実る真実のリンゴは、つねに甘いのだろうか。

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