クールビズがもたらしたもの

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

クールビズによって、年中ネクタイをしない人が、パンデミックレベルで爆増している。
ネクタイが無いと、酔っ払っているのかどうかが、頭に巻いたネクタイで識別出来ないじゃ無いか!!
これは、ゆゆしき問題だ。

ネクタイだけじゃない。
最近の企業のメールの『クールビズ』はすさまじい。

相手の会社名を入れずに名前から始める。
のは普通になってきたが、自分の名乗りを先にして、相手の会社と名前を書く強者も現れた。
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xxxxx 株式会社のxxx です。

お世話になります。
<株をつけずに会社名だけ>ニート、みのむしクリップ様
以前、ご連絡いたしましたxxxの件ですが、…
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マジかよ。主従逆な上にスペースなしかよ。
作法は変わるから、今、何が正しいのか? って事はある。
わたしはもとより気にはしないタチだけど、株の位置が違うと怒り狂う客もいたりする。
昔は何に こだわっていたのか良く判らない気もする。
しきたりとか、それは習い事の世界の話なんだと思う。

ビジネスって、以外とルールは無いんだな・・・。
少なくても、今の社会だとそんな感じだ。
ネクタイの1本や2本、メールから比べたら些細な事だ。
なんか、
普通と、フォーマルと、アンフォーマルの区分けが、難しすぎてわかんねー。
個々で違うし、違うと怒鳴るし。
なんか違うルールがあるのだろうか。
何に基づいて進めると良いのが、会社事に違うと、面倒すぎる。
結局感じたのは、
「自由って、逆に何も出来なくなる。」

互いの認識レベルがある程度一致していれば、誤解も生まれにくいし、容認出来る範囲も広い。でも、それぞれがバラバラで、結果や言葉が違えば、同じ内容を話している場合でも、互いを否定しはじめる。
方向が同じなのにマウントの取り合いで、互いを否定する場面はよく見るし、同じ思考のコミュニティーでも、そう言うマウント奪い合いは起きる。
人って、元来そう言うもの。

認識レベルの選択肢が広く、マウントの取り合いが発生すると、なかなか一致することはなく、相手を容認する事も難しくなる。
「なんだ、このメールは。俺が出しているのをまねして、なぜ送らない。」
って、ことになる。
最近のメールの流れを見ると、そう言う会話は、よく起こっていると思う。
大体、そんなラフな書き方を新人教育では、教えないだろう。

自由すぎると、もう何に従えば良いか、上司と自分の倫理と、社会的な別な認識とわけが判らなくなり、そういうことに時間を取られたり、ストレスを感じたりする。
全く、非効率だ。
これに対するカンフルは、『会社が上司を教育する』事だと思う。

まずは上司からルールを守ること。
そうしないと、すべてのルールが成立しなくなる。
どこまで許されるか、と言う範囲も人それぞれだから、

タイブライター時代を継承したワープロ時代は、
「首題から書き始めの間は、ダブルスーペースを入れる。」
なんて細かなルールが決められていた。
相手の名前は、左。
自分の名前は、一段落として、書類の右寄せで書く。
・・・って、そんな文書見たことあるでしょう。
送付票とか、見積もり書、領収書はこの形式だし、お役所の文書もこの形式。
海外の文書も、その書き方だ。
つまりは、過去の文化は続いていて、誰もその形式を崩すなんて言ってはいない。
何十年も前から、変わってはいない。
「過渡期の迷い」とでもいうのか、『何が正しいの??』という感じが、社会全体に広がっている気がする。

[仕事の基本が身につく本]

新入社員の入門本では、対面的な挨拶、クレーム対応など、参考になることが多く差されている。
役には、たつ。
しかし、メールの書き方の例は、見開き2ページのみ。
「○×株式会社のxxxです。」の様に、例題文では、
社名と自分の名前の間に、『の』が入ってる。
私は問題無いと思うけれど、これは問題視するヒトが多い。

対人対応は、ネットワークでサテライトオフィスや、テレワークに一気に傾いた時代に、段々、合わなくなっていくのだろうと思う。
立って挨拶なんて、そのうちしなくなるかもしれない。
でも、こういった基本は知っておかないと、日常的に使わないから、学ぶ機会も得られず、まずいことになる。

規則を知った上での変則的な省略と、その変則的な環境をそのまま学んだ人との間には、見た目の行動が同じでも、大きな違いがある。

次に問題になるのは、どちらが正しいか。
変則的な文化が正しいと認められれば、何も問題は無いけれど、実際の常識は何も変わっておらず、それを知っているくせに、正式な形式は教えずに、自己流の変則的な慣習を押しつける。
締め付けが厳しくなったら、自分だけサラッと元に戻る。
若手はおいてきぼりに。
クールビスは、ここでも社会的な『ゆとり世代』を作っている気がする。
元に戻ろうぜ。
結果的に、それが一番安全だ。

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