思い出は、静かに消えていく

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

アフリェィトが流行った2004年前後で増えたサイトは、2008年には更新もされなくなっていた。
最近は、全国の商工会議所に向けてHPのサービスを行っていた機関が変わったみたいで、2018年にあった地方のサイトが違うURLに変わっていき、地方の旅館紹介などでリンク切れが発生。サイト同士の相互リンクもキレキレに。

物事の終わりは、そうやって更新されずに放置されて、忘れ去られていく。
忘れることは悪いことではない。
廃墟はもう必要は無いし、振り返る事も必要は無いと思う。
必要がなくなった、それだけ。

転がる石はコケがつかない。

でも、関心がそのサイトにないだけで、村おこし、道の駅、キャンプ場、ホテルは毎年、様々な事で盛り上がっている。
同じ様な事をしていても、世の中の人や、会社の人、行事を行っている人達を含めて、まるっとそのサイトから関心が無くなって行く事みたいだ。
関心の場所は、人々を引き連れて移動している。
会社も関心が無くなると、徐々に更新が無くなるけれど、別などころでは更新が続いている。
窓際は、会社の花形から徐々に忘れ去られていく。
そうやって、徐々に終焉に近づいていくのだ。

ニー株のブログは、中にいる人たちの生活や考え方、創作を紹介する物だと思うけれど、それは中のいろいろな人がいて、ニー株の事情を発信して、初めて意味があると思う。
私自身は、活気がそこに残り続ける事を思い、更新にとらわれていた。
周りは余り見ず、自分だけの声を出してきたけれど、さすがにそれは身勝手だったのかもしれない。
これは個人のブログでは無く、会社のみんなのブログだから。
もっと中の事象を発信すべきだった。
(公開できる範囲で)

更新目的で、だらっと書き続けてしまったことは、良くなかった。
徐々に自分の書いた物が増えてしまい、悪目立ちしている。
多くはそれぞれのHPに広がりを持っているし、話題もここには無くて、すでに移動してしまっているのかもしれない。

廃墟にいるのに、そこがまだ自分の住む家だと思い続け、毎日花を飾り続ける行為。そんな映画のワンシーンみたいな光景を静かに感じ始めている。

誰もいない天井の抜けた建物の床に陽がさしている。
陽だまりの中の一輪のタンポポを気にする者は誰もいない。
建物そのものを忘れているから。
そんな孤独な世界観。
このまま、滅びてしまうのかな。
映画の終わり方も社会的にイメージされている終焉のメニューは、そんな感じだと思う。

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