価値観を超える力は、愛だけ — 価値観の迷い

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

「エスカレーターで歩くの禁止って言っているのに、みんな右側空けてるのって、変じゃねぇ。」
と、新横浜の地下鉄の長いエスカレーターで、がたいのデカい若者 2人が言っていた。
全くその通りなんだけど、
そこで話が終わってしまうのはもったいない。
この出来事は、
1. 疑問に感じる
2. その疑問は、価値観の違いが根源だと知る
3. 価値観が自分に悪影響を与えなければ、他人の価値観を尊重する

この要素に分けられると思う。
そして、結果としての行動は、「静観」。なんとも不条理だ。

■疑問に感じる
物事を疑問に感じる、気がつくことは大事だと思う。
時に矛盾に感じずに生活していることは多い。
「ペットボトル分別しても、結局燃やしているなら、意味なくない?」
と言う事から、ペットボトルを燃えるゴミ扱いの都道府県はある。
良いか悪いかより、ペットボトルが横浜市ではどう処理されているのか、わたしは知らない・・・知らないのだ。
知らずに分別してる。
分別の理由は、分別しないと回収されないから。
でも、その後どうなっているのか、調べてもいない。
排水がどう処理されて、海に戻るかは見たことがあるけど、ゴミは資源に変わるのかを知らないのだ。
疑問のままだ。

■価値観の違い
価値観の違いは、国家、個人のどのグループにも存在する。
歴史的にも、キリスト教にしても、宗派の争いによる虐殺の記録をもつ。
離婚の理由には、価値観の違いって言われる。
こうしてみると、大きなグループでも、個人レベルでも価値観の違いは存在し、その違いは容認できない場合もある。
違いがあると、どちらが正しいかって、話になりやすいけれど、これはとても危険だ。
物差しの「ゼロ」にどちらが近いかは、判定が出来るけれど、「ゼロ」と言う起点がない物の尺度は測れない。
宗教という決めごとの中では、違う事でも、それぞれの尺度でどちらも正しい。
「絶対的な尺度があるはずじゃん。」
って言うのは判るけど、絶対的な尺度でさえ、人の意識の前では、ゆがめられる。
『人を殺してはいけません。』
って決まりも、理解したい人には理解出来る。
戦争だったり、復讐だったり、食料だったり、殺人がその人の正義と同意義な時は存在する。
価値観そのものを合わせようとしては、いけない。
価値観が違うというのは、当たり前ととらえ、では妥協点はどこにするか、を話し合わないと収拾がつかない。
『価値観の違いで離婚』それは結婚する前からの事。正確には、
『価値観の違いを埋める妥協点が見いだせなくなったので離婚します』
が、正しいと思う。

[僕たちじゃ、ダメですか?]

[目的を持った仕事しないとな。顔なんて飾りです。今はわたしです。]

価値観というよりは、目的の違いによって、ペッパーは倉庫送りに。

■自分への影響→ 妥協点
結局、だ。
妥協しないといけない。
「妥協」と言うことは、「容認」という意味を持つ。
「好きっ」って言う魔法の時間は、容認の範囲を広げる。

『タバコを吸うのはちょっとイヤだけど、でも、彼の趣向だからかまわない。
趣味はミニカー集め。外車のミニチュアとか、とっても精巧ですごいと思う。
車についての歴史も話してくれる。
「いつか、こんな車に乗って旅行したいね」と言うのが、二人の目標。
最近はやしはじめた あごひげが、キュートでとっても好き。』

と、付き合い当初は思っていたけれど、1年後は、
『お金の無駄遣いが、こんなに激しいとは思わなかった。大体、あのミニカー、なんか意味あるの。子供じゃあるまいし。色が違うってぐらいで、すぐ買う。置き場にこまるし、昨日は踏んで転びそうになった。もう一秒も一緒にいたくない。
だいたい、あのヒゲとタバコの吸い殻、汚いからどっちもやめてしまえ!! って思う。』

と、まあ、見た目は何も変わらなくても、辛辣な評価に変わってしまう。
大抵、価値観の前に問題になるのは、『お金』だ。
生活が安定すれば、多少の容認できないブレも気にしなくなるのかもしれない。
(この場合の容認できない点は、『金遣いが荒い』)

とにかく、自分にとって相手が自分に損害を与えるか、与えないかの違いなんだけど、人間はその点が複雑だ。
関係が無くても、価値観の違いで責めに行く。
事件が起こると、加害者宅にイタ電が入る場合をよく聞くけれど、気持ちはわかるけれど、この行為はどうしてなのか難しい。
おそらく、ある程度知能を持った動物だけが持つ干渉なんだと思う。
集団から異質を排除しようという、本能的な感情かもしれない。

違いを見つけられると排除されるので、出来るだけじっとしていないといけない。
よくはわからないけれど、マイナス要因大きい違いは、排除の対象にされるから、普通に、『ゼロポジ』の無我の姿勢で、日々を生きたい。
気がつかなければ排除の対象にならないし、理由がわからないから、妥協点を見つけようという説得自体が、むかつく標的にされる。
なんか、見つかれば喰われる、動物世界みたいだ。
そう言う本能の影響なのか。
靜かに行きたい・・・・。

多分、世界平和的にダメかもしれないけれど、正面から価値観を超えて、誰かと打ち解けるには、バイタルが必要だ。
ニートにはとても無理でございます。


ニー株の今年の募集はクローズしたけど、一度は会社の取締役になりたい人は、今後のニー株の活動をみて、来年の募集の補修の準備を。ニート歩調なので、活動って、低炭素なクリーンエンジンみたいな静かな活動なんで、石をめくって昆虫たちの冬の活動を探す感じに似てしまうけれど、そうやって、好奇心を持って、石をめくろう・・・じゃなかった、ネットでググろう。

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