社長と従業員[社員(仮)]

The following two tabs change content below.

みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

いままで、個人で何も販売をしていない。
物を作れば売ることぐらい、普通に行われているのに、それが出来ない。
せいぜいオークションで不要な物を売るぐらいだ。
まず、ここで一歩が出来ないから、その先の何十歩も、旅をすることも出来ない野だと思う。
すべてはその第一歩で、ハードルは低いはずだけど、出来ない。
この出来る事とと出来ない事の違いが、社長と従業員意識の違いかもしれない。
だから、従業員と言っても、いつまでも「社員(仮)」の体質は、変わらない。
もちろん、これは僕の勝手な考えによる話。
いろんな人が、いろんな事を考えているだろう。

サラリーマンの頂点は、社長と昔のマンガでは表現されるけれど、小学生でも経済学やマネージメントの本を読んでいる現代、サラリーマンの出世魚が社長では無いことを多くの人は知っている。
社長の息子は社長になる。
株式会社の社長は、株とかの支配力による地位だったりする。
社員と社長の間には、深い谷がある。
橋がかかっている事もあるけれど、大抵は飛び越えられない。
その谷に向かって、はじめの一歩を踏み出せたか、出せなかったの違いだと思う。
谷に落ちるリスクを受け入れるかどうか。

ハードルが小さな一歩も踏み出せない僕には、到底無理な話しだ。
一方で、
「一度社長をやると、サラリーマンには戻れない。誰かに使われるのは出来ない。
だから、採用を考える。」
と言う話を聞いた事がある。
会社のルールという枠組みにハマった固定観念に縛られた生き方は、リスクも少ないし、想定外の事が起こることも少ない。
低リスクだから、みんなやっていける。
確かに、一歩踏み出すことより簡単なのかもしれない。
そのぐらいサラリーマンはリスクが少ないのかもしれない。

本当にそうか

最近では会社そのものが消失したりする。
つまり、それまでいたサラリーマンの楽園が消失する。
会社という楽園には、楽園ごとのルールがあって、それはすべて違う。
めざしている社会理念や扱う商品、業種が違うからだ。
コロナ騒動で飲食街が衰退して、ギャバ系の仕事が激減と言っても、キャバ嬢はそれなりの接客経験がある。コミュニケーションについては、多様な客との対話をこなしているので、そういう個人スキルは高い。
店がダメになっても、違う接客やそういう関係の仕事にたどり着くことは可能な気がする。
「失楽園」後も漂流して人のいる島にたどりつき、命がつながる。

サラリーマンはどうかと言うと、社長より早くに切り捨てられる。
それも、社長にとって期待度が少ない人から順に楽園を追い出される。
追い出されたサラリーマンは、今まで火や水、食料がある環境で仕事をしていて、彼の仕事を行うには、同じ環境が必要になる。
つまり、同じ様な「楽園」を探さないといけない。
しかし、大抵、同じ業種では同じ危機があるので、仕事には就けない。
別なルールの会社=楽園を探さないといけない。
その場合、覚えることが多い。
年老いてから捨てられた場合、リカバリーがきかない。
しかし、老後を安泰に暮らすほど蓄えも無い。
最悪のリスクを負うことになる。
そのままでは、ドコの楽園にも受け入れてもらえず、無人島で生活するも、結局すべてを行うことは出来ないまま、死ぬしかなくなる。
最悪、最小限の装備になった時には、生活保護という救難ヘリが飛んでは来るものの楽園には戻れない。

社長はどうなのかと言うと、一歩を踏み出し事によるキャバ嬢の様な個人スキルをそもそも持っている。
多少のミスマッチがあるにしても、どこかにハマるはずだ。
結局、楽園に住むことが出来る。
だから、サラリーマンは、常にリスクとして別な楽園のことを考えておくことが必要になると思う。楽園が崩壊しないときは、ラッキーだったと思えば良い。

社長がサラリーマンとして使えないか、それは別な視点からそう思うことはある。
上司はよく
「物事を整理してから持ってこい。」
「文面を清書した後に、完成形として見せろ。」
「俺に添削させるな。」
「答えを聞きに来るな。」
とよく言う反面、
「作業の進捗がないと間違っているかどうかわからない。」
「物事が大きくなる前に報告に来い。」
「途中で間違いが無いか、言いに来い。」
「進捗状態を伝えに来い。」
という。
聞く方は矛盾しているが、言っている方は矛盾していないと思っている。
それは、作業についての視点の違いもある。
決められた作業の中でどこまでが責任範囲なのか、決済金額で決まっているのはわかりやすい。判断がその金額の範囲だからだ。
しかし、そういう決まりが無いと、どこまでも上司の責任範囲で、それに対して上司はどこまでも俺に行ってくるなという矛盾を生む。
責任区分が明確で無いから、そういうことになる。
金額、時間、段階やステップ、そう言った範囲を個々の役割の中で、まず明確にしないと、責任区分がどこまでも上司の守備範囲になって切れなくなる。
この環境の社長なり上司は、サラリーマンには戻れない。
・・・と思う。勝手に思っている。

それは、どこまでも干渉する癖がつくから。
逆に上に対しての越権も起きやすいと思う。
上司と自分との資質だけを比較して、判断してしまう過ちを犯しやすくなる気がする。
結局、公務員で細々と生きていくことが静かに生きる方法なのかもしれない。
一次産業として農業は必ず必要な職種だから、つぶしがきくとは思うけど、敵が自然環境なので難しいし、平凡に生きるって、ホント、結構難しい。

[ゆるキャラのように静かに生きたい]

スポンサーリンク