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横須賀の海が見える公園には、戦艦「みかさ」が置かれている。
戦艦「みかさ」といえば日露戦争で旗艦を務めた戦艦で、輝かしい結果を納めたとして有名だけど、戦闘以外での損害の方が多く、沈没も経験している。
でも、大事に修復されて使われていたようだ。
100%イギリス製、とってもお高かったと思う。
戦利品としてロシアから得た10連機関砲がお宝になるぐらい、当時の日本には技術力が無かったし、技術力がなく劣っていると自覚があるから、必死でもあったと思う。
戦艦の形状は今とは大きく違い、横に大砲が数多い。
パイレーツオブカリビアンのような戦い方で側面同士で打ち合う事を想定していたみたいだけど、その距離は、主砲の回転砲塔が10Km、副砲が6Km。見えている猿島が5Kmぐらいだから、副砲がギリギリ届くくらいの距離で、相手が見えていても玉が届かない時代だったみたいだ。
[戦利品の10連装砲]
当時最新鋭兵器は日本には無かった。喜んで持ち帰ったに違いない。
でも、大陸では、この機関砲のおかげで、いっぱい死んだ。
今のように見えない所にミサイルが飛んでいったり、ミサイルは音速を超えて飛ぶので、全く音がしないまま着弾したり、そんな時代では無いけれど、当時最新鋭の設備で気持ちはやっぱり今と変わらず、相手も最新の装置を持っていただろうし、戦闘が始まったら、決死を覚悟したとは思う。
そのことを考えると、なんとも言えない。
特に日露戦争は、それ以前の戦争より戦死者の数が増えた戦いだったので、日本中に複雑な思いが広がっていったとは思うし、消耗戦の戦いはこの時からすでに始まっていた気もする。
ゲームでも、物資を消耗したら負けるので、消耗戦に勝利は無いことが判っているはずなのに、繰り返される。
戦艦三笠は、大陸で日本人やロシア人が虐殺された尼港事件の救援に向かって、氷に閉ざされて身動きがとれなくなったため、初代南極観測の砕氷船、「そうや」の建造につながっていく。
宗谷がその後、日本で初めての南極観測に着手する動力になったことはみんなが知っている事で、いくつかの犠牲の「線」が、その達成につながっていくことを心のすくいにしたいと思ったりもした。
で、数年ぶりに行った三笠は、VRで日露開戦の様子を体感できたり、コトモタチムケの展示として、日露開戦を指示の元に操舵するコーナーがあったりと、しっかりと現代のテクノロジーで進歩していた。
子供達には大人気のようだった。
展示は時代に合わせて変わっているし、擬人化したアニメのポップアップもあり、方や昭和時代のメダルに日付を刻印する機械(私が知る範囲では現存するのは他は芦ノ湖周辺だけかな)と全方位に網羅している。
でも、旧い写真や艦内に展示されている第二次世界大戦時の日本艦隊のプラモを見たりすると、
「この艦隊はほとんど全滅したんだなぁ。」
という気持ちで辛い現実を思い出したりもする。
[三笠の入り口]
[擬人化]
ただ、とらえたかについては人それぞれなので、まずは横須賀で現物を見て感じる事が意味があると思う。史跡や史実は振り返るためにあるのだから。
横須賀は、湾内クルーズで今の自衛隊や米軍艦をみるのも人気らしい。
電車で汐入で降りて、そこから港までは、15分ぐらい歩く。
周囲の駐車場は、時間640円から900円ぐらい。
三笠の入館料は、600円。
館内や公園内で飲食する場所は無いけれど、すぐ横の猿島に行く船着き場の前に、軍艦カレーがメニューにある喫茶店がある。
車で行くと、角を曲がったら米軍って所もあるので、うっかり国外に出てしまわないよう、注意が必要だ。
左が三笠の艦長、東郷平八郎。結構、イケメンな気がする。新聞記事に妻が内職で支えたって表記に対してキレたと言うから、結構気難しい人なのかもしれない。