季節外れな新人教育

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

新型コロナウィルスの影響か、5月に行われる新人さんの飛び込み営業が、今来てる。
修行? ただの嫌がらせ? なのか、名刺を置いていく営業はいまどき流行らないから、どうなのかなって思ってみてる。
「すみません。お名刺をいただけないでしょうか。」
という問いかけに対しても、
「営業職ではないので、個人情報の観点から名刺を渡すことは出来ないんです。」
とか。
「派遣なので、名刺を持っていません。」
とか、そういう受け答えで終わってしまうと思う。
今時、個人情報という言葉で、名刺を渡さない理由なんて、いくらでも出てくる。
新人さんを見ていて、なんだかかわいそうになる。
でも、名刺を渡すとデータベースに入れられ、永遠とemailが送られてくるのは目に見えているので、誰も渡さないと思う。
彼らの会社は、仕事をとってくるつらさというモノを教えようとしているのだろうか。
新人の時間リソースをそこに消費するのは、現代らしからぬ手法かと思うけど。

[上野の東北との接続ホーム]
かつて、たくさんの金の卵達が、集団就職に集った。
その結果、東北の過疎化と挫折して戻っていく人達もここから旅立つ

日立の新人研修は、まず新人全員ラインで作業と聞くけど、今でもそうなんだろうか。
すべての原点が生産ラインで、生産の苦しみを知るという事はあるかもしれないけど、設計だって失敗すると大変だし、責任は重大でプレッシャーがかかる。
ボルトの強度不足で、人が死ぬことだってあるから、製造よりもストレスがかかる事だってある。
他を知らなくても、それぞれの作業ごとに苦しみがある。
仕事の苦しみなんてそこら中にある。使われ人で楽(らく)をしている人は少ない。

挑戦的に自分の意見がグイグイ通る、挫折しても通るみたいなのはドラマだけの話だと感じる。
あれが、あり得る世界だと感じている人は、それだけで成功者に近い存在で、いずれ成功するだろう。
ポジティブ論を唱える多くの人が言葉に表す。
「夢は、願えば、叶う」と。
成功する可能性を感じることが出来るから。願うために努力を伴うことでかなうのだろうけど、挫折思考はどこから初めても挫折を感じている。
変わらない新人教育が、同期の人達とスタートに遅れた事を認識させて、意識していなかった若者に挫折の種まきが行われないことを祈る。

ネガティブに傾くと会社での思考もマイナスに働き、ミスを恐れ作業が遅くなる。
また、そのためミスも周囲から指摘されやすく、ミスが多いという印象がつく。
社長のミスを周囲が指摘しにくいように、ミスがあってもミスの記憶が周囲に残らない。ポジティブでイケイケな人の評価は、それに合わせて上昇する。
ただし、そのミスが度を過ぎない範囲で。
たまに事件として、どっかの社長が不正でつかまったり、無駄金を使ったり、周囲の人が大事になる前に是正できたと思うけれど、どこまでも突っ走ってしまうことは起こりうる。
ミスが過小評価される例だ。
また、会社は、見直すポイントがあるけれど、会社の大小に関係なく、修正は難しい所だ。
決定権が、課長、部長や社長に限られるから、雑務ベースとレベルが合わない場合がある。
営業は外部との折衝には裁量権が与えられるけど、その範囲が曖昧だと大胆にも注意深くにも行動が出来ない。
それらのことやテレワークを考えると、それぞれの裁量で仕事が出来る個人経営のように仕事が出来ながら、ベーシックインカムによって、ベース賃金が保障されているサラリーマンのような待遇が、今後の新しい働き方なのかと思う。
それって社会主義では?
中国って割りとそれっぽい気がする。
保証に厚く、けど、出来る事をしっかり行い働く、ハイブリット民主主義が今後の流れではないかな。
ここで、やっぱり管理職にあたる個々の作業者をどうやってつなぐか、それが国の行政の力で、公平な立場で行う事が出来れば、かなり良い気がする。
どの程度の仕事を誰に依頼するか。
誰かの生産物を誰かが必要として、仕事やお金、経済が回っていくと思う。
停滞するときも、何らかの手段で、お金が生成されることで労働力が安定して、暇をする人もいなくなる気がする。
割りと、仕事が多い人と、少ない人は同時に存在しているので、レベルに合わせた配分が重要だ。
なんかの飼育みたいだけど、そういう社会主義的な管理が、作業をフラットにして負担も軽減し、幸せに近づく気がする。

[個人事業主のようなサラリーマン]
・自分のスキルを登録
・仕事の依頼を受ける、スケジュール管理は行政
・固定費をペイするための場所は市町村が提供か自宅
・固定費、最低生活費分は、ベーシックインカムでペイ
・儲かった場合は、ベーシックインカムとして積み立て
→行政管理
・設備は共有できるようにする
設備費を抑えられるが、その設備で儲かっている会社のため、交換時期を定める。儲かったら、自分で購入して、使わなくなったら、共用資材として寄付する。
・共用機材は、古くなったら売却。循環させてお金を回す。
みたいな

パナソニック、トヨタは、自分達の製品とポリシーを取り入れた街作りをスタートしている。
労働を含めた一つのモデルケースで、シミュレーションで、そして大きな展示場だ。
大きな会社は目指すことが出来る。
でも、普通の会社は、国がテコ入れしてサポートしないと進むことが出来ない。
日本はそのぐらい活気がない。

人の体は、成長して衰退し、死ぬ。
社会経済がそれと同じ事ではなく回避しないといけない。
継続の中には生産と消費のバランスが必要になるし、人が入手する金額は消費する金額よりも大きくないと貯蓄が出来ない、という矛盾をクリアしていかないといけない。
プラスマイナス=ゼロではない。
だから、フラットに継続させる事は難しい。質量保存の法則を超えないといけない。
阿刀田高の小説だと、ネズミ→猫→三味線の皮 と言う過程で、出力される皮の差分として、たまに人をネズミの檻に投入するモノがあったけど、たまにそういう犠牲が必要なのかもしれない。
でも誰かが犠牲になってはいけないわけで・・・・循環型社会も難しい。

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