社会から離れていく

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みのむしクリップ

みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

昨年、昨年末とほとんど飲み会に参加していない。
お金がないし、時間の都合も付かず、しかも付き合いが減っている。
参加しないとお呼びがかかりにくくなるし、呼ぶ人も誘いにくい。
結果、どんどん周囲から疎遠になっていく。
今時の社会では、それが一番あり得る形で、受け入れるべき未来かな。

社会では、金を稼ぎぐひとつの方法として、SNSがあげられる。
飲んで、話して、馬鹿やって・・・ただのつながりとしてSNSがあると考えるのは、いまや正しくはない。生活を含めた繋がりまでがこの中に包括されつつある。
「引きこもり」という言葉が最近のように聞こえるけど、孤独死が20年前の昔からある様に、問題は続いている。
状況が同じと言うことは、何もされていないし、解決もしないんだろう。
何を解決しなければいけないのか、という問題自体も曖昧だ。
この状況が今の時代に合っていると言えなくもないから。
SNSでのつながりが社会の補助的役割を担い、物理的な孤独から、つながりを持つ社会に人を導いているとは思う。
でも、社会の中でのいくつかの階層は、SNSを使わず、つながりを持たない場合がある。
団地などのつながりは、直接の会話でのつながりだから、基本はface to faceだ。そのため、外に出ないと疎遠になって、周囲との関わりが無く、結果、非協力的だと思われたりして、いっそう疎遠になる。
そんなつもりは全く無いけれど、顔を見せて話さないと、そのようにとられる。
大体、団地という組織は、個人に対して協力を求めてきただろうか。
告知や掲示だけで伝えていると言うが、SNSの時代に、それは互いに話し合えない壁を作っているように思う。
SNSで伝えないから悪い、ということでは無く、外に出ないからSNSだけに頼り切ってしまう生活と、道で立ち話して掲示板を見なくても、情報を知る住民との間には、はじめから混じり合わない棲み分けが存在している。
その棲み分けを超えて、協力し合うためには、いずれのチャンネルをも持った仕組みが必要だと思う。
「今時の時代、ネットでしょ。」
と言うのも正しくはないし、主張できない。
それなのに、銀行を含め、社会はペーパーレスに進んでいく。
電波が直接受信出来るようになったら、それでも良いけどね。
一方はface to faceを強要する方向だし。

生活形態が違う2つの事象を取り持つには、マルチチャンネル型の『お世話係』の存在が必要なのだ。
高度経済成長期に出来た団地が高齢化で、団地内での意思の疎通が出来なくなっている。孤独死以前に、普通の生活や食事も宅配便任せになっている所もある。
一方で、深夜のコンビニに来る客は、近所の団地に住むおじいさんも多くいる。新しい形に適合している人も多くはいるのだ。
適応できない場合は、町内会の回覧すら、宅配便や新聞配達に配ってもらう時代が、きているのかもしれない。
そして、団地の委員会は、特に対応はしない。
昔ながらの方法で解決できるだろうと本気で思っている。
自分は社会と繋がりが多くあるので、時代の変化に気がつかず、必要な事が見えていないのだ。
そうだろうという予想はしていても、必要だという意識は、とても薄い。
これらの事は、それぞれの立場の違う『人』が動いている。
人の問題だから、他人の立場を理解できないとなかなか解決できないし、問題にならなくなるぐらい一つの意思で動く『塊』として意思がまとまっていないと、対応が出来ない。
動ける人が少なくなり、SNS重視の構成にいずれなることは見えていても、その時に従来通りのコミュニケーションを進めていた少数の人達は、どう動くのだろうか。
結局のところ、今、この瞬間解決できていない問題で、今この瞬間人々のストレスになっている。
第三者的には、簡単な事のように見えるだろう。
両方やれば良いって。
その実、トランスレートというか、情報の変改行為は行われてはいない。
両方の手段で情報をつたえる、その二重の作業は成立しにくい。
両方の情報を変換する場所や手段も乏しい。
(集会場で、SNSの情報を伝達係に伝え、伝達係の意見をSNSに乗せる。でも、タイミングと頻度は気持ちに添っているのだろうか。苦労が続き、疲弊することもありうる。)

そして、このコミュニケーションの集団に個人が気づいてもらえる方法は、お金ではなく、労働で参加すると言う点だ。
人員リストもないから、人の印象でしかない。
恐ろしいことに、昭和の時代にあった会員名簿や人員名簿は、セキュリティの観点から、一部の人にしか閲覧出来ない。
メンバー全員が、いるかいないか、把握が難しい。
年賀状を送るための名簿も無い時代。
それそれの関係は、かなり希薄だ。
本当にこれが求めていた、つながりなのだろうか。
孤独死に気がつかない事は、仕方がない気もする。

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