恐怖と対峙する恐怖

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

電車のなかで知的障害者の方と、
誰が接触したみたいだ。
接触した方が謝る。
「すみません。すみません。」
やや過剰に、数回。
謝罪された方が体を一歩引いた。

謝り型に、定型なんてものはない。
決まった形がないけれど、それぞれの尺度で、
どの過失に対して、どのぐらいって気持ちを
持っているらしい。

だから、人ごとに違う。
そこにあるのは、相対的な判断だけだ。
自分と比べての相手の行動。
それが、合格圏内か、不合格か。

謝られた人の行動の意味は、
知的障害者の方にも分かる。
拒絶だ。

相手に嫌だと言う気持ちを知られることは、
恐怖だから、相手に対して見える行動は
起こさない。相手の反撃が怖い。
人間社会の規格なんて線引きは曖昧だ。
だから、相対的判断になりやすい。
パワハラを与える方は、確実に犯罪行為なのに
捕まるまでその人達に拒絶の行動を見せない。

でもこれとは逆に、相対的な判断で、
謝った人を見下して、自分の行動を表に出す。
その行為は、
行動に気がついた人の心に刺さる。
そして何度も
「すみません。すみません。すみません。」

相対的な判断の下で、強いか弱いか。
気にするかしないか。

こころに刺さった人たちは謝り続ける。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」

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