2020年指定図書- 「平和のバトン」 読書感想文 中学生??

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

中学生の読書感想文は、「平和のバトン」という図書が指定されているらしい。
広島の原爆の体験を高校生が語り継ぐという -「バトン」をテーマにした図書を中学生が読書感想文を書くという、なんか連想ゲーム的なつながりを感じる。
で、中学生って何枚書くのかな、3枚ぐらいかなと思ったら、高校生と同じ5枚らしい。
苦行か!!
高校生と同じっても大変だし、戦争題材だから、
「どう思った??」
と聞かれても、
「戦争は辛いことばかりでね。」
「悲しい思い出ですね。」
「先輩達の作業は受け継がれるべきですね。」
ぐらいしか感想は出来ない。
戦争は、楽しい思い出と表現出来ないわけだし、喜怒哀楽の半分は表現出来ないから、感想文としては辛い。
それが5枚も書かないといけないのは、辛い。
辛いって言葉以外が余りないのに、辛い。
辛いに辛い以外どういうつらさが、あるのだろうかと思う。
私はこれを読んで、どのぐらい悲しんだのかを競い合う・・・冷静に考えると、おかしな競争だ。
うまく書くほど、なんか嘘くさい。
そういう人を信用できない気がする。
ストレートな気持ちを大切にした方が良いと思う。
悲しみを記録に残して、それが次の世代につながるだけで、十分何じゃないかな。
高校生達も書いているように、話を聞くだけでは無く、作品として残す為に話を聞いて、その細かな感情を探ることで、本当の出来事を理解した・・・ように、受け継ぐべき「バトン」は実際にやってみる事だと思う。
つまりは、感想文では無く、これを読んで、実際に戦争体験者の話を聞いて、自分なりの文章に起こしてみることで、真に出来事を理解する、そういう働きかけなんじゃないかな。
学校で、戦争体験の話をしてもらい、中学生からいくつか質問をして、それを文章にして見るとか、そういうことが学習になるし、書く幅も増えるんじゃないかと思う。
それと、その会を始める前に中学生に伝えることは、戦争体験者が体験した年齢が、どれも君たち中学生より若い時だった事だと思う。
他人の経験では無く、自分の経験にする為に。

でも、「バトン」って、横浜のY150でもそんなアニメがあったけど、つながる代名詞なのかな。
バトンは、「不連続な伝達」を僕自身はイメージする。

でも、中学生の感想文だと難しい。理系なので文系でもないし、学校の宿題を子供にお願いされるお父さんってこんな感じなのかな。


悲しみを伝えることの難しさ
「平和のバトン」を読んで

この本は広島に落とされた原子爆弾の体験を映画『きみの名は。』の主人公「瀧」が通う高校のモデルになった基町高校の創造表現コースの高校生の方が中心となり、2018年に134点の作品として作られた『次世代と描く原爆の絵』が元になって書かれたようでした。
広島で戦争を体験した人達から聞いたお話を聞いて、その様子を書き残していく、『記憶』を『記録』に、ということを行います。

原子爆弾は、広島の街を半径500mの地域、2万1662名を一瞬にして焼いてしまいました。その後に残された人が見たことを絵に残していく上で、リアルな表現で残していくのか、ぼやかして伝えていくのか、話し合われたと言います。絵に書いて残していくために、はじめにその選択を考える事は、はとても大切なことだと思いました。どのように伝えるかによって、その絵を見る受け取り方が、変わってきます。
本文中でも、聞いた話をどのように表現するのか、ただ杣状態を書くのか、見たいテヒとの気持ちも考えて絵に残していくのか、そのようなところがいくつかありました。
「プールサイドの惨劇」でのやけどの人たちが水道の水を求める絵は全体的に青い画面で描かれていました。8月の夏のことです。
ものが焼けたり、血がでたり、全体的に赤い絵になっている印象だったのですが、そうではないので意外なことでした。
これも、そのような考えなのかもしれません。
実際に起ったことは、目も当てられないような出来事が目の前に広がっているのに、それをどうやって伝えるのかは、受けとるわたしたちが受けとれられる中で伝えられている感じを受けました。
また、この中で話をしている原爆体験者の方々は、その体験した年齢は私たちと変わらない時だったことを知りました。小学校でマンガの本を取り合った時に被爆したとか、私たちの生活と変わらない中での出来事だったことを知りました。
本の一番はじめに書かれている『原爆投下前の朝』の絵が、今と変わらない田舎の夏の朝の様子で、今もわたしが見るできそうな景色です。
これが、一変して世界が変わったのかと、思いたくもありません。戦争が与える恐怖を知った気がしました。
『自宅の前で黒い雨に遭う自分』のモノクロームのような色。そのことが逆に固まった記憶や不変な時間を感じさせる怖さを感じました。起こったことはすべて恐ろしい出来事なのです。そのまま描いてしまうと、そのことで伝わらなくなってしまうこともあると思います。
『再会』の絵は赤い焼け出された絵なのですが、その不幸の中で出会った父と友人の3人が寄り添って集まる姿は地獄の中の幸いを感じます。周囲の描写はとても恐ろしい状況の中なのですが、その時に自分が感じた思いをそのまま表現していることになぜか安心を感じました。

本の中に
「今から思い返せば、『原爆の絵』は高校生だったからできたと思います。
中学生ではまだ技術が伴っていませんし、大学生になれば、どうしても自分のやりたいように描きたくなってしまう。あのときのように純粋な気持ちで証言者の話を聞いて、言われたまま素直に描くことはできないでしょう。今のわたしにはもう無理ですね、その意味でも、とても貴重な経験をさせてもらったと思います。」
と、書かれていました。

ありのままに引き継ぐ、「バトン」という記録をそのまま手から手に、人から人に語り継ぐことが、大切なことなんだなと思いました。
わたしが高校生になったら、同じように「バトン」をうまく手わたせるのか、不安に感じました。

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