2020年指定図書- 「キャパとゲルダ」vol. 4 読書感想文 サンプル1

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

[5] 書き出し
[6] 場合ごとの注目
書き出しは他のテーマにたいしても使えると思う。
ドキュメンタリーなので、そもそも文書は感情に乏しい。
だから、クライマックスは無い。
クライマックスは読み手が設定するしか無い。
どこを切っても金太郎飴のような構成だし。
ゲルダが死んだポイントだと、余りに前半過ぎる。
まあ、そこが最大のクライマックスだと思うけど。
たいてい、クライマックスは、後半、9割の地点だろう。

だから、超絶書きにくいと思う。山なしだし。

タイトルは何でも良いけど。
・相手が受ける痛みをつたえること
・共感している者達が戦うことについて
・体験して初めて悲しみを知ることについて
・写真が伝えたかったこと
・ゲルダの思い出
など。
レベルは、私が全力で書いても高校生の方がはるかに上だと思う。
ボチボチ書きで最低ライン程度かなぁ・・・・。
高校生はほとんど大人だからな。


サンプル : テキストのカウントで、1700字ぐらい。


タイトル : 相手が受ける痛みを伝えること
「キャパとゲルダ 2人の戦場カメラマン」を読んで

戦争は当事者になって初めてその悲劇を実感し、その実感を伝えることがより多くの共感を誘導して、平和に導くのだと感じた。
この本では、報道カメラマンのロバート・キャバが、共同で作業を行っていたゲルダ・タローの死によって、間接的に戦争を悲しみ、やがて第一線の戦場カメラマンとして成長していく姿がつづられていた。
キャバとゲルダは、いずれもユダヤ人であったため、ドイツ(ファシスト)の影響によって故郷で仕事が出来なくなり、生活のためパリで写真の仕事を始める。パリでゲルダと出会い、工場労働者のストライキなどの労働者運動を報道カメラマンとして撮影していた。
その後スペインの内乱が始まって、戦地ではないヨーロッパの国々、この場合はパリの出版社の要求に応える形で、戦場に行くことになる。
しかし、はじめはほとんど争いとは遭遇していないようだった。でも、女性がズボンをはき、銃を持って撃つ姿は、それまでのカトリック教の社会では考えられない新しい世界観で、社会はそういう変化に熱狂していたようだ。
ゲルダが初めて戦場を目のあたりにしたのは、ブリウエガの空爆後のこと。イタリア軍(ファシスト)に対して、共和国軍(キャパ、ゲルダがいた陣営)が空爆を行った。その街の様子を撮影した。
ゲルダは、
「手足、頭がそこら中に転がっていて、ひどい状況だった。」
と語った。転がっていたのは、敵であるファシストのイタリア人兵士で、まだ若い人達だった。この戦いは自分達の陣営に勝利をもたらしたが、敵となった者の犠牲を伴う。
後半の文中に下記の記載がある。
「1955年、ニューヨーク近代美術館は『人間家族』と銘打った写真展を開催した。この写真展は世界十から選び抜いた写真を恋、結婚、子ども時代、母と子、死と言ったテーマごとに分けて展示された・・・写真にそえられた分の一つには、「わたしたちは一体となるだろう」とある。・・・<中略>・・・しばしば、敵も同じ人間だと言う事実に直面した。」

このことは、写真によって伝えることで、悲しみを共有する。そして敵味方、互いに同じ悲しみを感じていることに気がつくのだと言う事を感じた。
キャパはゲルダを恋人として見ていたらしい。1937年の春にキャパはゲルダに求婚したらしいが、キャバとの間に差を感じたゲルダは、スペインの戦場に行くことを選んだ。7月が終わり戻ってきたら、一緒に次は中国に行こう。分かれる前にキャパとゲルダはそう予定していたらしい。キャパが行動を別にしてパリにいた頃、戦地に見せられたゲルダは戦闘機の空爆の中にいた。近づいて、近づいて、その戦争がもたらす戦闘機の攻撃を伝えるため、ありのままの姿をとらえる為にスペインのブルネテの空を見上げていた。
キャパからもらったライカを手に、トラックの荷台に座っていたゲルダは、悪路の起伏に振り落とされ、そこに戦車が通過した。
ゲルダの死を知ったキャパは第三者的な立ち位置から、最愛の人を失い、初めてその戦争の当事者になった。求婚の春からわずか3ヶ月の出来事。
やがてヨーロッパは第二次世界大戦に入り、ユダヤ人のキャパは二人の暮らしたパリから離れてアメリカに行く。再びヨーロッパに戻って来たのは、ノルマンディー上陸作戦の従軍カメラマンとして、今度は一人でキャパは戦場にいた。
そして、戦地の最前線にとらわれていく。
その後、1953年にアジアに入り、翌1954年、ベトナムで地雷を踏んで死亡する。
彼が残した作品は、幾人もの共同作業によってなしえたものだとまとめられる。その為か、写真の多くは紛失や現像処理の不手際で、多くを失っていて、実際に撮影されているものより、残されたものは少ないらしい。
しかし、キャパが写真で伝えた戦争の痛みは今も残っているし、多くの人の共感を得ている。彼が戦争の当事者であった故、伝えることが出来たのかもしれない。

2007年、失われていた4500枚もの写真が、「メキシカン・スーツケース」として発見された。70年余りの時を経て、いまを生きる私たちに、戦争とはどういうものであるのかを再び問いかけている感じがした。

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