お父さんのプレゼントはイマイチ

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

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[品川のホームの電線は人工衛星みたいな名前]
月に行くことを予定しているお方のtwitterのお知らせが来ていた。
誰かのリツリートみたいだ。内容は
「#前澤お年玉 当選者へのDM送信が完了しました。
当選しているのに、僕のフォローを外していたり、DM拒否していたりで、当選DMを送れない方がボチボチいました。もったいない。
ということで、空き枠が出ましたら、抽選に外れた人を対象にした再抽選を近日中に行いますのでお楽しみに」
なんか面白い。
私の第三者視点では、「100万もらえるのにもったいない」と、率直にもったいないと感じるけど、フォローやDMを外している人は、そもそも必要ないと宣言しているから、全くもって「もったいない」なんて思ってもいないはずだ。
全くの無関心。
それに対して、渡す人の方が「もったいない」って発言は、なんか微妙だ。
ティッシュ配りのお兄さんは
「もらえば良いのに、もったいない」
って、思って配ってはいないと思う。
早くこのティッシュを処理したいと言う気持ちじゃないかな。
勿論、100万円の価値がティッシュと同じゃないけど、発言した瞬間の気持ちは、ノルマー達成を妨げることに対して不満が出た感じを受ける。
これは、視点の違いというか、良くあることと言うか。
「この特売、今買わないともったいないですよ。」
「今日限り、二度と手に入りません。」
そう言う文句は、ちまたで良く聞く話だ。
お金を取られるからみんな買わないけれど、お金をもらえる場合も同じかもしれないと思った。すべての人が必要ではない。
一応この話のポイントとしては、
『一つの言葉に対して、感じる感情が両極端』ということ。
「今日限り、二度と手に入りません。」と聞いて、
・必要な人は大慌て。
・不要な人はちょっとむっとする。
それが同時に存在する。
人を取り巻く環境によって、それは非情に作用する。
気持ちが落ちこんでいる時の宗教の甘美なささやきは最高だ。
現実社会は正義より力(正当性があるかどうか)。救済も何もない。
すべての人を完全に平等な(と、思える)視点で見守る光は、『神』の世界にしかない。
神の視点もそれぞれに存在するので、そこはまた別な話だけど。
とにかく、言葉の解釈は置かれている状況に支配される。
立ち位置が違うと、その支配する領域も違うから、発言した声は拒絶した人には届かない。言葉を聞いても、目や耳や頭には届かない。
届かない言葉を発言しても、それは意味が無い。
いままでの経験で、彼はそれを一番良く理解しているはずだ。
会社の頂点にいた人だから。
力で多くの人に聞いてもらう事が出来る事を理解しているはずだ。
今はそれが金かもしれないけれど、昔は魅力的な発想とビジネスモデルだったかもしれない。
どれもが金につながっていると、私自身思っていたけど、それが異世界並みに違っている現実に気がついた。
ああそうか、例えば子供がお金を出すわけではないから子供に目線では話さず、お金を出す親の好奇心に働きかけて話しても、状況によって見方が変わる。
子供という無視していた対象が、無視できない要素に変わり、それを想定に入れていないと、失敗することも有るという事かなと。
お金を出す親に対して話せ。子供は金を出さない。ってコンサルが言っているのを聞いた事がある。
彼の経験則ではそうだったという事かもしれないな。
クリスマスのプレゼントは、親が良いと思って買ってきた物は、子供には不評だ。
それが家族破壊につながる事もあるし、イケイケのお父さんは、嫌われてしまう。
もらえるからって、何でも歓迎ではない。
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