みのむしクリップ
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スマホは人の判断を鈍らせる。
それは、人の能力が低下すると言うことでなく、
注意が散漫になるから、周囲に対して集中力を欠く、
と言う話。
ドコモだったか、ながらスマホで渋谷の交差点を渡る
シミュレーションを行ったら、そこら中ぶつかって
大変という話を聞いたことがあると思う。
周囲はその様子を見ているだけで、ストレスが高まる。
あまりよいことではないし、良い連鎖をうまない。
そんな事はみんな知っている。
だけど、人は、ながらスマホをやめられない。
悪いと言っているわけではなく、それだけ人は
スマホに夢中と言うことを言いたい。
スマホがあることで、人は多くのゲームをして、写真を見て、
・・・つまり、娯楽の時間が増えたことになる。
でも、休息と娯楽は違う。
娯楽の時間を一日のどのぐらいあてがうと良いか。
そんな提議は、小学校の夏休みの生活計画以外見たことがない。
ゲームは1時間だけ、とか。
漫画喫茶は一日いられるとか、
たまには温泉で一日ゆっくりしたいね、とか、
それは一日中ゲームをすることやYouTubeをみることと、
本質変わらない。
娯楽の時間だからだ。
スポーツをしたり釣りをしたり、何をするべきかとか、
何をしたら良いとか、提議はない。
でも、個人、個人が勝手に自分の行動を正当化するための
説明はある。
そんな理由なんて、そもそもおかしい。
写真を見ても、YouTube、映画、何でもいい。
それを元にお金をもらう人は違う。
彼らは羊たちからお金を回収するために、
様々な娯楽を用意する。そしてその対価を得る。
(「対価」って書くと、「丸儲け」よりなんか正当性を感じる。
意味は変わらないんだけど。)
だから、娯楽の為に何かを提供している人は、羊たちが喜ぶ
ことを提案する仕事をしている。
それが社会善意。良いことをしている。
一方で、駄文メーカーとして、
一人壁打ちテニスをしている私は、お金をもらっていないので、
やっぱり羊の中の一人で、
更にネットワークを無駄にしているので、
「マイナス羊」でもある。
そして、この駄文が、娯楽という、第三者的には
「変態さん」的なカテゴライズに位置する。
やばいな。
とにかく娯楽というなんだか解らない区分が存在していて、
それに使う適切な配分も不明なままの時代に、
ゲームは何時間というのもナンセンス。
ゲームがダメなら、娯楽の時間は限りなくゼロが良いのか
という話しもある。でも、
「たまには、温泉に行きたいね。」
が、NGって言う人はいないと思う。
「ゲームは時間の無駄。」
っていう人は多いけど。
結局、そういう印象から、娯楽の時間配分は、
余り考えられていない気がする。
極論があるからかもしれない。
「時間と金が許す限り遊べ。」
生きることに支障が無い限りは、「娯楽」に全振りでOK。
だと思う。
食べるために働くけど、科学と知性の探求で『めし』は
食えない方が多い。
科学や知識は、すべてがお金に替わるとは限らない。
素粒子が解ったところで、おなかは満たさない。
そういうことでは、すべての学問が趣味の世界に入ってしまうし、
趣味の世界で、際限なく極められていく世界は、
純粋な感じもする。