ニートについて、心のバランス

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みのむしクリップ

みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

働かないとダメ人間の様に言われる。
生きる為に食物を得る努力をするのは生物の常識なので、
仕方が無い。
だから、身体にダメージを受けると、それは致命的だ。
人間は、それでも、なお生きていける社会を作っている。
しかし、その中には、まだ、精神面での健康の定義は
難しく、測ることも難しい。
精神面での傷は、『正当』か『不正』か、正しさを
求められる。正しさとは、精神が目では見えないから
ダメージを受けているか、いないか、解りにくいから
ダメージがあると言う判断が出来ないという意味だ。
本人の自己申告では成立しない。
「私は疲れているんです。助けてください。」
これは成立する。
でも、「精神的に疲れて、働けない。」は、
時に成立しない。
「甘えてる。」という意見を聞くことになる場合も
ある。
でも、疲れていると言う主張は、客観的な視点か、
主観的な視点か。

『主張』という表現から明らかだけど、主観に決まって
いる。主張だけど、なぜ、「甘えている」という表現は
割と社会で支持されるのだろうか。
よく考えてみると、「甘えている」という発言は、
意味が無い。
「甘えている」と言う発言が、『何に』作用し、
『誰に』対して言っているのか。

言う対象が、「疲れている」と主張している本人に
対してなら、『主観』同士の意見の相違で言い合って
収束なんてしない。言われる方もわからない。
「疲れている」という発言に、なぜ否定されるのか。

違う第三者に対して「甘えている」っていうのは、
「疲れている」と言う発言を他の人が受けたその人に
対して言うことだから、関係ない人の横やりに過ぎない。

そうすると、「甘えている」って、言葉は無価値な
言葉だ。
でも、世の中では「甘えている」受け入れられている。
これって、矛盾だけど、矛盾じゃなかったりする。

社会的に意味がある人にとっては、矛盾じゃない。
誰かが「甘えている」って言っても、否定されるから。
結局は、社会的な地位次第。
怠けていなくても、地位や生産製が悪い思われていると、
人はマイナス方向に働く。
社会に潜在的に存在する思念のようなイジメの波動。
それが、本当の意味で、ストレスを与える。
下とか上とか、全く平等じゃない。
動物的上下間意識だ。
理性を手に入れた人間は、まだ潜在的に動物なんだ。
やるか、やられるか。
DNAは何と戦うつもりなんだろう。
そしてそのストレスは、今日も心を傷つける。

[ CB650R ]

エンジン見てると、心が洗われる。人よりも楽って、どういうことだろう。

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