技術部の壺の中 — Vol. 107 [ドキュメントレス社会]

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

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15年以上前から、IPMessengerやskypeで会社の業務を補佐するソフトはあったけど、メインはメールとファイルサーバ。ドキュメントが中心だった。
ノストラダムスの恐怖の大王は、ISOとRohsを連れてきたので、2000年にはISOがらみのドキュメント管理の徹底が、なされた。
日本は戦後にJISを経て、規格という意識とその恩恵を感じていた。
当時の日本人には信じられないことだけど、海外では発注した物と違う物が届いたり、違う日に届いたり、違う場所に届いたり。FAXで送る文書の管理がずさんで、間違えだらけだったらしい。
アメリカの中堅以上の会社では文書管理がちゃんとされていたけど、世界的にはダメダメレベル。
それで、ISOというルールを決めて、守っている会社と取引を行うとスムーズだねって事で、ISO基準の文書管理ルールができた。
始まりはゆっくり進み、ISO2000をクリアしたあと、2008と続くに当たって、時代はインターネット時代に突入。いや、本当はISOとほぼ同時進行だけどね。

「記録が不正確だと、嘘になる」

でも、ネットワークのSNS文化や「ビジネスが加速する」って事で、ドキュメントも作らずにSNSでドンドン仕事が進行していく社会に今なっている。
そりゃ、仕事は進むよ。もともと他の国でも、電話注文だけでメモも残さず進行できていたのだから。
でも、日本の会社は、記録を残すことでトラブルを避けて、
作業のクォリティーも上げてきた。「できる会社」?はLineを使ってスピーディーとか、確かに文書は残るけど、整理されていないから、本棚に整理されていない本を探すような感じ。
検索機能があるから言葉は見つかるけど、経過はまとめていないから、前後をまた読み直すことになる。結局、大きな会社は履歴を整理している。
SNSでもメールでも、ドキュメント化されている。
そして、それは外部に広くは伝えていない。
実際には、昔通りしくしくと整理されているのだ。
ある意味SNS格差社会で、ちゃんとした会社は、SNSだけで完結していない。その格差社会が、ビジネスで発生し、クォリティの格差社会を生む。

ドキュメントは、起承転結の様な、[問題点]、[原因]、[対応策]、[結果や効果]を文書でまとめていたから、それを読めば知らない人でも理解しやすい。
新人が、昔の文書を発掘して読めば、情報として役に立つし、覚える。でも、SNSだけの文化では、それがないから、新人は真っ先に起きやすい問題に知らずにぶつかる。
経験者でも忘れてしまい、トラブルにハマる。

また、ドキュメントは作業の手順を記録に残すためのもので、そのまま手順書としてつかえる。あとから作業や調査がしやすい。

SNSに記録があるだろっていうのは、間違った情報も一時的に正しいと見なされている事もあるから、偉い人はすぐ「結局何が正しいのかわかんねぇよ」、ってことになる。確かに進行した後の結論はSNSでは解りにくい。問題と結果が時系列で遠ざけられている。結果を読んだ時には、「きっかけ」を忘れていることも。
けど、それはあんたのマネージメントの結果でしょ。って話。

会社の質やリスク、コストは増えているけど、一見、時間で片付いていく様に見えるので、「処理がスピーディー」って印象を受けるけど、それ自体がいらない時間だったとは、思わなくなっている。
最近の社会は、結構な確率でポカミス的なトラブルが発生して、報道される。それを見るたびに人々は、口々に言う。
「ちょっと考えれば解ること。」
ドキュメントがない文化だから、新人も知らなくて当然だ。
まるでISO前の海外の会社と同じ仕組みだ。
その点では、ガラパゴスではなく、ワールドワイド展開されてきた。

文書を持って各部署の部長に「はんこ」をもらうという儀式もないから、そのぐらい重大な決定事項に対して、部長達も自覚がなく、電子承認ですんなりコトが進む。
で、問題が発覚すると、とても困ったことになる。
昔は、
書類を持ち回って、担当者がいちいち説明することで、各部での意識とシミュレーションが何通りも行われ、結果、検討不足のトラブルが起きにくくなっていた。
その行為は時間のムダの場合もあり、コスト削減の標的にされやすいけど、反対に合理化した分、チェックがザルだと目も当てられない。

とにかく、今の会社ビジネスのSNSは、中途半端すぎる。
それは、人間が電子化からの情報を完全に処理できない部分が大きい。

10/20のFM東京「あっ、安部礼司」では、インターネットのweb閲覧から得た情報は印象に残らず、活用されにくいという統計の話をしていた。
まあ、それは正しいかもしれないけど、現代社会では電子情報がすべてだから、それを記憶していないとは何事!!って、言われてしまうかもしれない。
多分、エピソード記憶成分が足りないので、電子情報は忘れやすいのだと思う。
すべてのステップがネットに移行しているので、いかなる情報も今後、電子化を経て得るしかなくなる。

だから、いかなる情報も受けた人間が理解して、記憶しないといけない。または適切な形に記録しないといけない。SNSやwebの文書から、必要なドキュメントに作成し直すことができていないので、これを補完する事が必要だ。
AIにドキュメントを作ってもらおう。
そして、日本はまず、そう言うAIを作ろう。
そしてもう一度、ISOの意味と、それ以前の日本の仕事のルールを発掘した方が良いと思う。
でも、どこに埋まっているのかな・・・。

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