自分という人間

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みのむしクリップ

みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

自分は、どういう人間であるか、父に聞くべきだと思った。
僕には自分が良く判らない。
正確には、
人が言う僕という人間と、自分が認識している僕とが
かみ合わない。違いの理由も言われている違いも、
理解できない。

見ているポイントが違うとか、解釈が違うと言う事や、
ボタンの掛け違いという表現が使われるけれど、
それとは違う様な気がする。
その「違う様な気がする」ということ自体、
人とは認識が、違うのかもしれない。
ボタンの掛け違いではなく、ボタンは同じ場所に
かかっている。
プロセスの進行や発言のタイミングが合っているので
そう思っている。
そこに無理やり「合わないボタン」を入れようとしてる様に
思う。その違いが分からない。
ボタンの種類がわからない。
何が違うのか、その違いも見当がつかない。

たまに、答えがうまくはまる場合も有る。
それは、予想を超えた事態に、だ。

そもそも人には思考としての選択肢の幅があり、
その幅の場所が違うだけなのかもしれない。
いくつもの事情から、ふさわしい場所をのぞき見るような
細長い窓。
思考の選択とは、その窓の位置なのかもしれない。

非常事態時にその窓の位置が違うと、自分の選択肢が
見えてきたり、「今までの趣向からちょっと変えた」時に
自分の選択肢が見えてきたりしているのかもしれない。
つまり、通常時は、ほとんどハズレている。

では、その位置をバイアスをかけて変えれば良いだけでは、
という発想もうまくはいかない。
どこに合わせるとよいか解らないから、窓の位置を示す
メーターは壊れたままなのだ。

そもそも、自分はどういう人間なのか。
僕の出生を知る親は知っているはずだ。
そういえば、親には一度も自分の生き方について、聞いたことは
なかった。
何がダメだとか怒られた事はある。
でも、自分の本質については、知らずに過ごしてきた。
他人も教えてはくれない。
ただ、違うと言うだけ。
何をどうすべきか、そんな事はどこで知ると、よいのだろう。

僕は何も解らない。
解らないまま、この時代を生き続けている。
生きることが義務と感じて。

僕は何者なんだろう。

僕を知る、自分の「血」以外に聞くすべはないだろう。
僕は何者なのか。どういう種類の人間で、何がダメなのか。
聞いた父は、教えてくれるだろうか。

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