明治維新と品質の心

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みのむしクリップ

みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

府中市では、明治時代をテーマにした絵画展が
行われているらしい。
明治のはじめは、今の1/4の人口しかしなかったらしい。
西洋文化が入ってきて、追い抜け、追い越せと、
文明開化のもとに華やかな時代であった気もする。
一方で、「おしん」の時代の様にまずしくて、出稼ぎに
出る農村の人達もいた。

昔、日本はまずしくて静かに暗かった。
明治のイメージは、薄暗い曇り日の家の中の様子。
畳の部屋どうしの仕切りが外され、雨戸は開いているが、
障子は閉ざされている。
隠し格子の光が、室内に入るけれど、そもそもがほの暗い。
音も特に聞こえず、たまに人が歩くすり足の音がする。
そういう静かなイメージ。

戦後、日本の品質は良くなかった。
それが、戦前からの人がまだ残っていた時代に品質を
向上させた。

最近、日本国内で売られている製品は、質が良くない。
その理由は、「生産場所が中国だから」だという。
売っているのは日本の企業。日本国内で販売しているにも
関わらず、だ。
自分で作っていないから、仕方が無いだろう、ということは
買う側からは通らない話だけど、なぜか日本製かどうかで
品質の認識が変わるようだ。
その実、とこで作っても変わらなくなっている。
設計そのものの問題だから。

戦争に負けた日本は、いろいろなものを失った。

それは、映画「この世界の片隅で」にあるように、静かに
日々少しずつ失っていくやり場のない叫びだ。
その反骨精神で、戦後の製品品質が向上したと思う。
日本人の勤勉さとかではなく、ただの「意地」だ。
昔、日本は品質が悪かった。そして、今もそうなっている。

ヨーロッパに留学中の森鴎外は、日本人は鼻くそをほじる
卑しい人種だとさげすまれ、とても激怒したらしい。
ブライドを傷つけられた彼は、その後、ヨーロッパの
小説や書き物の中で鼻くそをほじるヨーロッパ人の描写を
探し続け、ついにそれを発見して、日本人が卑しくはないと
主張したらしい。
これも、屈辱に対するただの「意地」だ。

品質を良くするモチベーションは、それが顧客要求に応えて、
品質の良い物を提供でき、自社製品の選択につながる、と
説いてはいるものの、それは物の言い方で、安い物が売れる
という風潮では主張が怪しいところがある。
700円の爪切りは、3年使用できるけれど、100円の爪切りは、
1ヶ月しか使えない。
それでも、無理無理3ヶ月使い続け、爪がまともに切れなく
なっても使い続け、そのうちにどこかに行ってしまい、
また100円の新しい物を買い直す。
100円の物は、新品でもそれほど切れ味が良いわけではない。
でも、選択される。
爪を切る行為に700円はふさわしくないと思われているからだ。
700円の方が全体的なコストメリットは高い。
しかし、刹那的な消費者のニーズに対して、説明していく
生産者側の「意地」が足りない気がする。
自分の製品が、どれほどコストメリットがあるか。
それが消費者に伝わりにくいし、伝える方も諦めている。
700円の物にそんなに丁寧に売るコスト的なメリット無いと。
これも「意地」の話だ。職人の意地の話。

類製品であっても、顧客が買わなくなる前に、売り切って
しまえば、売れ残りもない。二度と買わないと顧客が激怒しても、
ブランド名で販売してそれを変えていたら、わかりにくいし、
物によっては形は覚えているけれど、メーカーを覚えていない
顧客は多いと思う。だから、それでいいと売る。

しかし、意地を貫き通し、やがて死んだとしても、
品質が良かったときの意地としての名前は残るだろう。

惜しまれつつも、死ぬことには変わらない。
そして、思い出されるけど、死んだ会社は戻らない。
そんなジレンマが平成の終わりに続く。

来年、2020オリンピックが東京で開かれるが、
この120年で、明治の人達が望んだ社会になっているのだろうか。
意地と低価格とそのどちらを重視するかで道は決まっていた。
昔は全てがリサイクル。
新品は高くて買えないから、中古やリサイクルに価値が出る。
捨てるのにお金がかかるというのなら、作る時にはなぜ安い。
安い値段は初めから価値がないから、ゴミでリサイクルが
できない。そうじゃないのだろうか。
意地の価値をオリンピックの気質とともに思い出して欲しい。

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