ニートが思う地球(たま)の気持ち– 平成は倒錯の時代

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

平成のカウントダウンが始まっている。
平成は、ほぼバブルの崩壊と共に始まったけれど、
平成でワープロ、PC、DVD/BD、デジタルカメラ、液晶テレビ、
ビデオカメラの普及とデジタルへ、
ハンディーカム55もこの時代の産物。
青山テルマは携帯握りしめて眠りにつくけど、ポケベルが鳴らなくて
切ない気持ちになった世代や、
「今、ブルッたでしょ。」
と、ポケベルのバイブに対して、Lineの既読マークのように反応する
女子高生がTVに流れたりしていた。
VTRではテープが消えたり、カセットテープの消失で音楽投稿の型式も
変わり、インターネットの普及で手紙も消えかけている。
FAXは死滅寸前だし、大体IP電話の回線帯域ではすでにFAXは使えない。
お年寄りにはやっていたFAXでの文通も、地デジの到来で通信会社の
標的にされたお年寄り家庭がお安いIP電話にこぞって変えられ、FAXが
使えない孤独を味わうことになることも、停電時にIP電話が使えなく
なることも分からずに、急速に事態は変わった。

そう、平成は変化時代だった・・・・はず。
産業も多く多様化を極め花咲く・・・はず。

でも、結果は産業の大半が海外で生産される悲しい結果で、
今を迎える。何かか間違っていたのが、これが正解なのか分からない。
事実は、たくさんの新技術が出て、製品も爆発的に増えたことは
確かなこと。
そして、商店街は消えてショッピングモールに人が集まり、
工場が閉鎖されていることも確かなこと。

人口は、2012年がピークだったらしいので、つい最近まで
消費も減る要素はなかったけど、なぜか産業は寒い。

何か基本的な考えが変わってしまったとは思う。

ショッピングモールがはやる陰に車の利用がある。
コストコは連日、大賑わい。
駐車場待ちの列が出来ている。
ディスニーランドも車で行くことが多いし、
ショッピングモールの時間のいくらかは、駐車場待ちで消費される。
人口が減ったと言っても、車の台数は劇的に減ってはいない。
若者は車離れが激しいと言っても、渋滞は発生するし、
道は年々整備され続けている。
家族単位の外出に車が使われていることは確実で、そう言う場所が
人気が出ることも理解できるはずなのに、
最近作られた箱物公共施設には、駐車場が存在しない。
「徒歩にてご来店ください」
というのは、高齢化社会の車椅子利用やその他の福祉に反している
ことにも理解が出来ていない。時代に合わない。
そう言うギャップと見積もり違いが、来館数の低下や客の低下に
つながっている。
「いつまでも昭和ではないのだ。」
昭和ではない平成の初めと今を二分した表現が、
この言葉だ。
前半の平成との別離を平成時代の人たちは、そう表現している。
それが平成ロジック。
平成は、何かロジックがおかしいと感じるところが
公共の機関が発言することに対してそう感じる。

ちり紙交換や廃瓶、雑品の回収業者がいた時代に、
市町村ボランティアで資源物回収を始める。タダで。
そうしてさらに
「廃材を処理するのにもお金が掛かる。」
という。それまでは鉄くずはお金を売るとお金がもらえた。
冷蔵庫もコンプレッサーは鉄で出来ているので、
お金がもらえる。
それがなぜかお金を払って回収することが正しいと言い始めた。
市町村を中心に。
業者が聞いたら、「お金払っていたのに、お金をもらって回収」
ってことで、回収だけでお金がもらえるなら、支持するに
決まっている。
で、今は、お金を払って回収が法制度化までされている。

だけど、リサイクルって、資源に使うということで、
材料費に税金掛けるのはおかしいし、材料としての廃材に
お金を掛けるのもおかしいと思う。

それまで普通に出来ていたことが、法整備でなんかおかしくなった。
なにが正しいのか、よく考えると分からない。
海外では、結構ゴミも売ってる。
資源としての車とかバイクとか。
「動くのなら、タダで持っていきますけどね。動かないなら
お金掛かりますけど、いいですか?」
おかしくないか?? 鉄の塊だぜ。資源じゃないの??
「直したり、部品で売れないから、解体費ください。」
って言った方が、まだ正直で好感が持てる。

平成になって、矢印の向きが何が正しいのか分からない。
「カートを引く人は、周囲の人に気を付けてください。」
JRとかで良く聞くけど、
前に荷物を置いて押すカードは、気を付けないといけないけれど、
後ろに引いて歩くカートは、なぜ引く人が気を付けないと
いけないのだろう。
というか、気を付けて歩くのは、かなり難しい。
不可能だと思う。
そもそも、視界にあるカードをよけずに歩いてぶつかる人が
まずいと思うけど。
家の家具に足の小指をぶつけて、家具に対して怒っている人と
同じ現象だ。
自分の過失を人のせいにしている様に見えるし。

エスカレーターは、
平成のはじめには、誰もすり抜けて歩くことはなかった。
それがJRでも
「エスカレーターは2列に並んで使ってください。」
といっている。隣が近いよ。
すり抜ける方が一瞬だから、ましに感じるけど、
そもそもそんなにスペースもない。
これも、何が正解なのか良く判らない。

「バックは、前に背負って乗ってください。」
JRネタで悪いけれど、そう言うアナウンスも聞く。
これも前に背負うメリットが良く判らない。
ヨーロッパで、前に鞄を抱えるのは、バックパックは
カッターで切られて盗難にあうから、電車の時は
前に抱えると聞いたことがある。
確かにヨーロッパのバックパックの売り文句は、
「刃物で切れない」だ。
日本もそう言う犯罪に気を付けろと言うことなのか?
前に背負おうが後ろに背負おうが、体積は変わらないし、
多分これも後ろ引きのカートと同じことなんだろうと思う。
鞄がぶつかる責任を持ち主の責任にする。
確かにそうなんだろうけれど、横に持った人は容認できる
けれど、背中に背負った人は容認できない。のかも。
JRの企業が指導しているアナウンスだから、前に背負うのが
電車を使うときのルールとして成立する。
これも、リサイクル法の法整備と同じ。
正義は、法と利用機関の秩序によってもたらされる。
だから、ここで書いたことは、クレームではなくタダの疑問。
何が良いかは、今行われていることが正として、決まっている。
ただ、平成という時代の前と後で、本来不変であると
思っていていたことが、変わったことを考えたいだけ。

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