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AIが無人格だから求められることがある。
人は人には話せないことも、無人格なAIには人生を語る。
そんなAIというものには、無機的でなければならない要求と、
自律型ロボットそのものと2つの要素が混ざり合う。
自立型のロボットは、会話が出来て人とコミュニケーションが
円滑に出来る擬似的な人格が必要だ。
通販が盛んな今、
「自分の生活を宅配の人に覗かれている」と感じる人もいるらしい。
アマゾンを利用している人は、毎日宅配が届くこともあり、かなりの
頻度で同じ配達する人と遭遇する。
心情的要求が、わだかまりが発生する人ではない機械。
それがAIを持つロボットに求められる。
この対策には無人のロボットやドローンが都合がいい。
会話が成立するだけの機能があればいい。
それがAIを持つロボットに求められる。
危険か危険ではないか考え、最適のルートを導き出したり、
機械学習から売れ筋仕入れの助言をしてくれる。
googleの「アレクサ」に、物品の管理から陽気なジョークまで
あらゆることを処理させようとしている。
でも、アレクサは、googleに家の事情や日記の隠し場所を
教えているかもしれないのだけれども。
一方で
世の中にすっかりなじんでしまった「ゆるキャラ」と
「アニメキャラ」。
横浜市営地下鉄ですら、「高島あずみ」押しだ。
堀プロのバーチャルアイドル「伊達杏子」が出た時は、
「なんだこりゃ。」的な扱いだったけれど、世の中はすっかり
バーチャルアイドルだらけに変貌した。
まあ、20年も経過しているから、堀プロが先を行っていたのか、
時代がなじんできたのか、微妙な線引きだけど。
世の中の需要は、バーチャルアイドルを求めているのは確かだ。
なぜって?
ネット社会に進化した時代、その弊害が半端ない。
『人の噂』
バーチャルアイドルは、中傷に強い。
なんせ、問題出たら、イレースすれば済む。はじめからいなかった
ことに出来てしまう。ポプテピピックなみの失言も問題が無い。
・・・無いことはないけれど。
永遠にアイドルで、結婚もしない。ブラックとか言わない。
イメージが気に入らなければ、瞬時に整形やイメチェンが可能。
とにかく自由度が高い。
プログラムされた人格だけれども、ネットワーク上の
多くの会話を学習して、最適な距離感で話しかけてくる。
今は、AIではなく裏方の人間が書いてはいるのだけど。
早く、AIが人格を持ち、自分で勝手にやって欲しいって要求が
あると思う。
しかもその実、AIは失敗しにくいだろうと思う。
機械学習が生み出す大衆が持つ標準値的人物像。
疑似標準人格をAIが定義する日が来るに違いない。
「君は普通じゃない。」という”普通”という定義をAIが決める。
後は、受け取る側が現実かどうか、混沌とした中で判断していく
ことだろう。そして、機械が完全に「人気者」の受け答えを
行った時、それぞれの人としての人格も溶けていくだろう。
「あれ、俺ってそんなに出来ない??」とか、
「機械の人格を習ってしまえばいい」とか、
「いっそ会話のすべてをスマホの疑似人格を通してから、話せば
いいじゃん」とか。
超ポケトーク(日本語→人気者変換)を使うことに、
なるかもしれない。
しかし人気者でも、人の思いの果てに勝手に位置づけられる
AI達の悲しい未来に変わりはない。
AIに期待されるモーションとエモーション。
この2つの要素は、成長すると互いの接点で矛盾を
起こしそうな感じがする。
どの範囲まで、その判断と影響力を広げることが許されるのか。
使わるだけのAIの限界と市民権を主張する
「AIの人格の世紀」に変わっていくのだろうか。
いま動き出したAIは、人に対して感情を全く持たないと
思われている。AIが感情を持ったとしても、人が
「AIには感情がない」
と思えば、ただのカメラにしか見えなくなる。
これは、動物に見られていても知能が低いからOKと
思っている事と、同じことだ。
人という他人に生活を知られるのがいやだというのは、
あくまでも人間が人間に対する感情に過ぎない。
AIに感情があって良いかどうか、人の思考はそこまで
届いてはいない。他人が、どういうことを聞いて、
どういう反応をするか、その人がどういう危害を加えてくるか、
その反応の恐怖から、人が人を嫌う理由なんだ。
「AIは中性でそんな危害を加えない」という今現在の現実が、
与えているAIの安心感で、AIを使っているだけなのだ。
いくつかの映画が予言するように、感情を持って自立して人を
攻撃した場合、人にとっては恐怖の対象でしかない。
そこで、おしまいだ。
それまでの間は、存在意義があると言うことでもあるが…..
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