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2月16日、この日は旧南極観測船『宗谷』が、初めて水に触れた日。つまり、生誕の日だ。
南極観測船の名称が『しらせ』固定になっている今、宗谷という名前は、もう、使われることはないのだろう。
[まるで石棺に包まれたような船の科学館]
たけど、宗谷は実質的に南極を調査した、戦後の物資の乏しい日本にとって、光を与えた船の名で、出来れば『宗谷』という名称は、南極観測や北部地域の支援船として復活してほしいところもある。
宗谷という名称は、日本にとっては二代目で、初めては日露戦争で鹵獲した船に付けられていたらしい。
その後、砕氷船の需要が高まる中、日中戦争がはじまってロシアに納品出来なくなった日本製の砕氷船が、『地領丸』として採用。
その後、宗谷に船名が変更された。
でも、ロシアとの間で、前金を返せ、返さないで、もめたらしい。
だからなんかケチがついた感じての採用というグダグダな感じが残る。
[宗谷と最近話題のフジテレビ本社ビル]
砕氷船が必要とされたのは、1920年 3月に起こった尼港事件に戦艦 三笠が助けに行けなかったということから、端を発しているらしい。
日本人700人余りが虐殺された事件で、追悼の碑が、小樽、水戸、天草と三箇所にある。
105年も昔のことだが、物騒な話だ。
女子供も容赦なしという、非情な出来事だ。
日本に砕氷船が無かったのだから、しかたがない。
だから日本で初めての砕氷船として、『大泊』という砕氷船を作った。
当時はスチームボイラーの船の時代。
その中で、砕氷機能を持たせるのは大変だと思うけど、カタログスペック「2mの氷も割っちゃうぜ」というのは、なんか嘘くさい。
で、それっきりで、結局、宗谷はというと、南の島々に物資を運ぶ仕事をしていたらしい。
船体にソナーを持った特殊な船なので、座標しないように進むこともできる変わった船でもある。でも、ちっとも氷を割らない任務について、終戦を迎える。
日本の砕氷船運用はどうかしている。
いまは、『みらいⅡ』、『新しらせ』、過去には宗谷の次の南極観測船『ふじ』とか、あった。
北海道は北の海岸の多くは氷に閉ざされる。
飛行機やヘリの利用も出来る時代でもあるけれど、重量や天候などの制約もあるので、船の選択肢も見直してほしいと思う。
まあ、日本に金がないというのもあるのだけど。
宗谷はその数奇な人生を南極探査という輝かしい出来事で締めくくる。
改造されたり、日本で初めてヘリ搭載艦になったり。
とにかく、戦後、物資が乏しい中、戦争で沈まず残った船に、新しい日本の夢を託して宗谷は南極に出向いた。
そして、タロウとジロウの二匹の犬を置き去りに・・・いやもとい、運命を共にして、南極調査の足がかりを作った。
そう、その宗谷が 2025年 2月15日、16日に特別展示される。
いや、いつでも展示はしているのだけど、いつも閉鎖している海図室とか解放されるらしいぞ。
先着87人には、缶バッチもくれるらしいぞ。
是非、この機会に、日本の海の歴史に触れてほしい。
戦前からある船って、横浜の氷川丸(戦時中は病院船)ぐらいじゃないかな?
ああ、横浜に日本丸があるか。後は戦艦三笠とか。
そんな数えるぐらいしかない貴重な船舶に、みんな、もっと近づいて欲しいぞ。
[宗谷が不死身でいたのは一説には、宗谷神社のおかげという
あえて改修したときに据え付けられた宗谷神社]