読書感想文 2021年 – With you -その②

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

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中学生の課題図書、「With you」の感想文だけど、小説の中にはいろいろな興味深い内容が含まれている。
テーマの「ヤングケアラー」を軸として、同情って何とか、恋愛とか、兄弟がうざったいとか。
思春期の兄弟間は微妙な距離感だ。
言葉を交わさなくなることも多い。
とにかく中学生は狭間の世代で、とても難しい。

中学生が中学生の読書感想文を書くのは難しいと思うけれど、小説は大人が書いた中学生像。そして今感想を書くのは、中学生と偽ったおっさん。この中にリアルな中学生は、どこにもいない。
スケボー女子のオリンピック金メダリストの13才の少女が「ラスカル」と放った言葉を誰も正確に聞き直さずに、本人には無関係に暴走していく恐ろしい今の時代。
リアルを正確に扱うより、イメージ先行で進むコトの方が本物に見えてしまう。
中学生って、まだ小学生だよ・・・って、周囲も本人も言えないつらさはあるかもな。
中学に入って内心書の心配、中間、期末テスト
そう言う決まりがとても多く感じる。
中学生になったら、制服を着ないといけなかったり、ジャージは同一されていたり。自分が中学生だったことを忘れていたけど、なんとなくぼんやりと、小学校からの環境の変化に自分なりに耐えていたと思う。
そこから自由に解放されたのは、働き始めて数年。
中学から10年以上、耐え続ける日々たった気がする。

この小説は、恋愛小説なんだけど、印象に残るのは
「それって、同情だよね」の返しだ。
昔は「同情するなら、金をくれ」っていう言葉が流行ったらしいけど、同情って善だか、悪か判らない。
・同情って、誰のため
・同情なら、いらない
・さげすんだ目で、同情して欲しくない。
思いを同じくする事だと思うけど、ことごとくマイナスイメージが強い。
辞書で調べると、「他人の不幸や苦悩を自分の事のように思いやっていたわること」と書かれている。
今の時代、共感したり、思うだけでは足りないのかもしれない。
この同情はいらないに対して、どう対応するかが、わたしとしては最大のポイントに感じた。
恋愛小説なんだけど、そういう所が辛い。逆に、そういう所が辛いから、はぐらかす意味で恋愛小説の体を取っているのかも。

あと、あかねの言葉で、
「幼稚園の頃は、ひとりっ子だった」
と、言うことは、二人で夜に合っている時に、妹のことを聞かれての会話で、突然出てくる。正直、違和感を感じる。
多分、作者の暗示だと思うけど、妹を切り離したいという気持ちの表現なんだと思う。妹の世話はしたくない、もともと、自分しかいなかったのに。そんな事かと思う。
子育てで、精神的にブルーになるケースに近いと思う。
小説は大人が書いているのか、そう言う引っかかるところが、いくつかある。
と言う事で、おっさんニートが書く普通の感想文編。
2000文字か・・・。まだ受験前の中学2年として。

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タイトル : 人に寄り添うと言うこと

「With you」を読んで

同情することは悪いことなのだろうか。それは、当事者にとって、嫌な事なのだろうか。「With you」を読み終えて、私はそう感じた。
人と良い関係を続けていたいと、みんなが感じていると思う。そうするために社会にはルールがあり、それを守る。そうすることが相手にとって、お互いに気持ちが良いことだと信じている。でも人が感じる気持ちは、誰にも理解ができないこともある。自分の気持ちを判ってもらえないと感じる気持ちの解消は難しいと思う。
本の中では、「ヤングケアラー」がテーマになって、母親の病気のケアをする子供が、どのように感じ、どのように進めていくか書かれている。夏になると、戦争の映像を目にする。
「相手の気持ちに寄り添って、物事を考えていく必要がある」
と、第二次世界大戦後の日本の戦争孤児や怪我を受けた人達への心遣いが話題に上がる。私自身、それは理解しているつもりだったけど、その感情は「同情」なのかどうか、判らなくなる。
同情と言われれば、同情なんだろう。でも、同情という言葉から受ける印象は、人の上下を感じる。当事者と傍観者。感じの良い表現ではない。「同情してほしくない」と言われると言葉に詰まる。「同情」と言う感情は悪いことなのだろうか。「同情」を辞書で調べると、
「他人の不幸や苦悩を自分の事のように思いやっていたわること」
と、書かれている。
少なくても今までは、自分はそういうふうに考えていたと思っていた。でも、相手から
「同情して欲しくない」
と、言われると、そのすべてが自分側だけの思い込みで、相手の気持ちを全く考えていなかった、という結果に一瞬で変わってしまう。
そのぐらい「同情して欲しくない」と言う言葉は強い拒絶に感じてしまう。
私の祖父や祖母は健在で、同居はしていない。お正月に親と一緒に田舎に行くときにしか会うこともなく、当然のように介護のことも、考えた事などなかった。だから相手に寄り添って看護のことを考えたとしても、その範囲は、たかがしれている。つまりは、全く知らない。それで、誰かの気持ちを知ることなど、できるはずがない。かといって、同じ出来事を感じる経験もできない。
辛い思いが必要なのだろうけれど、辛い思いをすることが良いことだとは思わない。誰もが、幸福で幸せな出来事ばかりを求めているし、幸せな生活が悪いことではないはずだ。
戦争よりは平和が良いし、不自由よりは自由がいい。
そう考えると、自由と不自由の境界は永遠に埋まらない感情としていつまでも残ってしまう。
「同情して欲しくない」
その言葉で区切られる、満たされた側と満たされない側。
誰もそんな隔たりを望んでは、いないはずだ。
その境界を越えて、気持ちと意識を一つにすること、その溝を埋める方法は、なんなのか判らなかった。
夏の間、ずっとそのことを考えていた。そして、今年の夏のオリンピックを見たときに、本の中の言葉に気がついた。
「もし同情だったら、それっていけないことだろうか。朱音の状況が、少しでもよくなってほしいと、そう願うことが。」
スポーツを見たときに、なぜか感動するし、自分が選手でなくても選手のように競技で戦ったように感じてしまう。つまり、溝を埋めるには同情でも何でもなく、『相手の状況がどうなのか、少しでも良くなって欲しいと願う』そのことが相手の気持ちに近づくことなんだと感じた。悠人は朱音のことを好きだと思う気持ちで、近づくことを選んだけれど、近づくこと、それが大事な解決方法だったんだ。問題は「同情」かどうではなく、自分が相手の気持ちにまず近づこう、共感を得ようとしていないことなんだ。自分が体験をしていない不幸なことでも、相手の話をとにかく聞いて、相手の気持ちを共感することで、お互いに同じ問題を考える立ち位置になると言うこと。はじめから、不幸を体験している必要なんてない。教えてもらう事で知れば良いし、みんなで問題を考えたときに、良いことも見つかると思う。
確かに今まで、相手から直接話を聞いたことはすくない。テレビや本で読んだ誰かの経験をたどることしかできなかった。
これからはもっと多くの人達の話を直接聞ける機会を増やしていきたいと思いました。
本の中で悠人が高校受験勉強で、朱音と会えない間は夜の9時に同じ空を見上げよう、と言うところは印象的だった。共通の何かで人と人をつないていることの暗示にも思えたし、オリンピックのようなイベントでも同じような事が起こると思った。また、1人でも誰かとつながっていると言うことだけで、力になるのだなと感じた。私も誰かの力になれるように頑張りたいです。

以上、これで1,872文字>
中学生だから、好きとか愛してるとか恥ずかしいので、そう言う表現は恋愛小説だけど出来るだけふれずに。

[読書感想文 2021年 関連ブログ]
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