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テーマ2 [共感編] – 「共同作業」中心に書いてゆく。
でも、読書感想文の締め切りって多くの学校で、7月末ぐらいみたいので、完全に乗り遅れました。まあいいか。
読書感想文の要点を他のサイトで見ると、
・その本を選んだ理由
が、一番先にあったけど、「指定図書だから」で、終わってしまうと思う。
自分で自由に選んだ本なら、どうして選んだかで小一時間話せるだろうけど、指定図書を自分の意思で選んだ・・・まあ、3冊から1冊を選ぶって選択肢はあるけど、その理由も希薄だと思う。
それに対して、どうして選びました・・・という自主的なコメントは嘘くさくて、フェイク色いっぱい。
その後の文書も、なんか嘘くさくなってしまう。
そんな気がする。
だからあえて書かなくて良いんじゃないのかな。
あと、ロバート・キャパとゲルダ・タローについて、
アンドレ・フリードマンが、ロバート・キャパ
ゲルタ・ポホリレが、ゲルダ・タロー
の説明をすると面倒だし、この芸名の意図について説明すると結構、字数を消費してしまうので、あえて触れない方が良いと思う。
内容も「なぜ、このサングラスを選んだんですか。」「モテたいからさ。」
みたいな深夜の通販番組程度だし。
では、今回は ちょっと たどたどしい感じで。サンプル
テーマ2 [共感編] – 「共同作業」中心に
タイトル: 戦場カメラマンの作り方
「キャパとゲルダ 2人の戦場カメラマン」を読んで
切磋琢磨と言う言葉がある。
「キャパとゲルタ 二人の戦場カメラマン」を読んで、同じ作業で協力できる仲間がいることでサポートや助言が得られ、時には、互いに競争し、大きく成長するチャンスにつながるのだなと感じた。
著者自身も『共同作業』という言葉を重視しているようで、この本もマーク・アロンソン、マリナ・ブドーズの共著になっている。人は協力することで大きな力になる。タイトルが戦場カメラマンというように、撮影の対象が人同士が争う戦場で真逆な状況なことが、複雑な思いになった。
ドイツのファシストの影響で、ユダヤ人のロバート・キャパは故郷のハンガリーからパリに住んだ。そこでカメラマンとして仕事を始める。ゲルダ・タローと出会いも写真がきっかけだった。写真という新しい機材を使って、出版社に売り込む。映す対象は人物写真だったり、パリでのストライキだったり、パリでの仕事は報道カメラマン様な仕事たった。戦場ではない。この時の二人の行動を読んで、写真は生活費を稼ぐための道具だったような感じを受けた。
新しい写真の対象を求めて、スペインの内乱に赴いた気がする。
戦地ではあるけれど戦場ではない場所での撮影が続く。
その時のキャパの写真はこんな感じだ。
1936年 5月「ルノーの自動車工場での大規模なストライキの写真」
1936年 9月 写真タイトル「くすれおちる兵士」
1936年12月 「貼り付けにされた首都–本誌マドリード特派員キャパによる驚愕の写真」(パリ・ルガール誌)
当時の人々は、写真が満載の雑誌を欲して、「いま、ここ」と言う情報を渇望していた。
今のSNS社会と似ている。その要求に流されて、戦地に行き、徐々に過激な写真に変わっていくのがわかる。
ゲルダは、戦地の子供や女性の活動を中心に写真を撮っていく。
文中で、
~地方の村に行くと、『女性がズボンをはいているぞ!!』と言われたものです」とアナーキストの女性は言っている。「ズボンをはいていると言う理由で、両親は私を家から追い出しました」
<中略>
~女性達がこの歴史的戦いにどのように参加しているかを示すことになる。
それまでスペインでは、女性が武器を持って戦うことは許されてはいなかったので、女性が兵士や警官になることなど想像すらできなかった。~
と言った記述がある様に、当時、女性の活動には制限があった。そんな中で撮影された『拳銃でねらいを定める女性の姿』の写真ががゲルダの代表作になる。
そして、多くの写真を撮ることでキャパとゲルダは写真表現の仕方を確立していったのかもしれない。文中の表現で、
「キャバは写真を変えたと言われている。」
それまでの写真は記念写真の様に正面を向いて撮るようだった。キャバもはじめは宣伝用の人物の動きの無い写真をとっていた。報道カメラマンになり、横向きや走っている姿、踊っている姿など、動いている様子をとって人気が出たようだ。
また、一枚の写真に納めるだけではなく、前後の関係をセットにして写真を撮った。
葬儀の写真ならば、参列者やその悲しみ、会場に集まってくる様子など、絵物語のように組で提供した。それが喜ばれたらしい。
つまりは、見たい人達の要求に答えるために、それを考えて写真を撮ったと思う。その要求がロバート・キャパを宣伝用の写真カメラマンから、報道カメラマン、やがては戦場カメラマンに仕向けていったように感じる。
キャパ自身は危険に近づきたくは、なかったようだ。
特異な売れる写真が撮れれば、それは戦争で有る必要は無いとも考えていた。
1937年の7月にスペインの戦地からゲルダが戻ってきたら、次は中国に行こうと予定していた。この戦争そのものを興味の対処としていなかったと思う。
しかし、ゲルダは帰っては来なかった。
ゲルダ・タローの葬儀は一カメラマンでありながら、公的なイベントとして扱われて政治色の強いものだった。キャバはその死を自分の責任だと考えたし、キャパ自身は彼女を愛していたから、そのショックは大きいと思う。仕事をするコパン(友人)として、愛すべき人として、失った悲しみを消すことなんて、できないのでは無いだろうか。
その後も戦場カメラマンとして仕事をしていくようだけど、ゲルダ・タローの死までの、次は中国に行って、次は何をしようかという希望は感じられない。
この後、一番最初で出てくるノルマンディー上陸作戦の従軍カメラマンとして活躍をするけれど、それはどこか投げやりな思いを感じる。ともに進む仲間を失うことは、非情に耐えがたい衝撃なんだと思った。
関連ブログ
2020年指定図書- 「キャパとゲルダ」vol. 1
2020年指定図書- 「キャパとゲルダ」vol. 2
2020年指定図書- 「キャパとゲルダ」vol. 3
2020年指定図書- 「キャパとゲルダ」vol. 4 : サンプル1
2020年指定図書- 「キャパとゲルダ」vol. 5 : サンプル2
2020年指定図書- 「キャパとゲルダ」vol. 5.5 : サンプル3
2020年指定図書- 「キャパとゲルダ」vol. 6 : サンプル4