2020年指定図書- 「キャパとゲルダ」vol. 6 読書感想文 サンプル4

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

テーマ3 [いや、絶対無理!! 編]
[5] 書き出し
[6] 場合ごとの注目
この本の場合はドキュメンタリーだから、事実に「違う、そう思わない」って反対しても仕方が無い。
だから、誰に反対するかは、読み手の先生だ。
『ちょっとこいつ、小一時間ほど職員室で締め上げたい。』
そう思わせるような外した部分をテーマに書く。
ダダをこねる。
まさにキャパの時代の少し前、第一次世界大戦終結後のヨーロッパは、ダダイズムの時代。大人が本気でダダをこねてた。
そういう文化があったのだ。
その時代、その場所に日本の岡本太郎がいた。
その太郎の名前を取って、ゲルダ・タローの名前が出来た。
彼はヨーロッパの画家達にアジアンテイストな画風を教えたり、マチス、ピカソにも影響を与えたと思う。
『太陽の塔』の作者、岡本太郎はとっても偉大なのだ。

それに、
読書感想文の書き方って、教わった記憶が無い。
規定がないのに規定がある様な感じって変だし、暗黙の規定の中でルールが成立していることは、全くフェアじゃない。
「どこが引用文で、どこが感想かちゃんと分けなさい。」
そんな事を言う先生がいたら、
「読んだ本の解説ではないから、引用も含めて、そこが強く感じたという感想なので、すべてが私の感想なのです。」
そのぐらいのダダをこねても、良いんじゃないかな。

当然だけど、自分の言いたい事だけ書くのが書きやすい。
ルール無視だし。
感想文で有りながら、読み手に問いかけてみるとか、自由に書いてみると書きやすいかな。
とにかく目標は、先生を熱く怒りに導くこと。
それが、ドライになっている先生の心に揺さぶりをかけて、失っていた感動を取り戻す、正しき「ダダイズム」の活動だ。
と、説明しよう。・・・職員室で。


戦場に生きた二人のユーチューバー
「キャバとゲルダ 二人の戦場カメラマン」を読んで

キャパとゲルダは、彼らの時代に生まれた人で、彼らを取り巻く時勢をうまく使ってビックになっていっただけなのではないかと思った。今と、あまり変わらない気がした。
今だって、スマホで撮った写真をネットに掲載して、その反応を気にしている。
キャバもゲルダも、それは当たり前に感じたと思うし、今だってそうすると思う。
ユーチューバーは、ウケがいいハンドルネームを使う。その名前で閲覧回数が増えたり、口コミで伝わったりする。全年齢、全国対象なので、ひらがな・カタカナ表記が多い。キャパも同じように、一般ウケがいいアメリカ人風のロバート・キャパという名前に変えた。
ドイツのファシストの影響で、ユダヤ人のアンドレ・フリードマン、ゲルタ・ポホリレでは仕事をするにも、都合が悪かったという側面もあったかもしれない。しかし、それもすべて、今のユーチューバーが行っている事だ。彼らは、ただ、時期と運が良かっただけに思う。

今は、写真はカラーで撮影できるし、動画も取れる。すぐにネットで送ることもできる。中国の化学工場の爆発や、外国の倉庫の爆薬の爆発、電車に落ちる雷の映像、私たちが見ることができる映像の種類は種類も数も多く、スケールも大きい。爆発の衝撃波が広がる様子まで見ることができる。反面、本の中の白黒写真は暗すぎるし不鮮明で、判りにくく、共感できることは限られている。血の色すら黒で表現される。
私たちが扱う情報は、そのスピードによって辛辣な社会を伝える。
新型コロナウイルスでの感染の不安、学校の閉鎖、経済が混乱していて大学に行き学校を卒業しても仕事があるのかの不安。スピードが早く、絶望も間髪入れすに伝えられる。
心か情報を受け止めるための余裕も準備もない。
受け取る方の準備が、まず違っていたと思う。
キャパとゲルダの写真を受け取る人は、パリのカフェで過ごせている余裕がある人達だ。勿論その中に、キャパとゲルダ自信も含まれる。2人の家族は、その後、ゲットーに隔離されたらしい。
グーグルマップでベネチアを見ると、ゲットーという地区がある。ヨーロッパの多くの地域にユダヤ人の隔離地域があったようだ。戦争がもたらす不幸は、そういった名残や記録で感じることが出来る。、ユダヤ人の迫害は第二次世界大戦の悲劇の一つということもそれらの記録から理解出来る。でも、ここで語られるキャパやゲルダと家族の関係の表現は薄い。つまり、二人はよく知らなかった、と言うことだと思う。
パリで暮らす二人には、想像が出来ない世界だと思う。
扱う情報が違うということは、世界観を含めた範囲から違う。戦地とパリ、バルセロナ、マドリード、ブルネテと戦地を変えても、町中の落書きが「スペイン万歳」から「ロシア万歳」に変わっていても、ゲルダはその写真を撮るだけの作業だった。その描写は、歴史の記録の本を見るようで、自分の生活とは重なり合わなかった。

扱うものが戦争で生死に関わることとはいえ、逆に現実的に思えない。今の私たちは、戦争が始まれば、核兵器で一瞬にして消滅して、逃げる場所なんかない事を知っている。
ステルス爆撃機と赤外線センサーなんかで、容易に見つかり、人単位でも攻撃を受ける。
映画の世界ではそういう映像が流れる。

結局、社会で起こっていることと、そこで暮らす当事者の意識は別なんだという認識を感じる。生きるために個人個人が考えて生活し、高いレベルで善悪、政治を考えて行かないと、その時代は良くはならないと戦後の人たちは言うけれど、今の私たちは政治に対してのアプローチを考えつかないし、政治に手がととく訳でもない。
選挙の投票は行われるけれど、その変化が直接的に感じられない。何の変化をもたらすのか、あやし。親たちの言葉からも、だれが当選するかは、その日行われた野球の試合ぐらいの勝った、負けたの言葉しか聞かない。
ヨーロッパが戦地になり、戦地にいながら、キャパとゲルダはそれを伝えるカメラマンと言う位置で、戦いの体制に全くの関与はしない。被写体として写真に写る兵たちにしても、自分たちの陣営が勝つと言う気持ちだけで、自分の命をかけて戦っているだけに見える。
戦争が始まった時には、もう報道や民衆の力で止めることは出来ない。
有事の事態が始まるずっと前から、事が起こらないようにスピードを持った情報-悲劇を周囲に発信して、戦争を回避していくしか無いのだと感じた。


関連ブログ
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