みのむしクリップ
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ルールは社会の仕組みを考えてつくられている。
でも、人はそのルールとなぜか、かみ合わない。
共通の認識の違い と 説明不足。
そして、些細な事でもその食い違いはストレスになる。
階段で「どちらかによりなさい。」と言うと、
エスカレーターの場合、大阪は右に、東京は左に寄る。
その違いで本来の目的を達成できないストレスになる。
共通の認識は、共通の教育の元で成り立つ。
日本の教育は、多分最上位で共通化されているはずだ。
ただ、エスカレーターのように、
教育では規定されていない部分の解釈によって違いが生じ、
ストレスになっていく。
曖昧さは混乱を生む。
道路交通法は、この部分を良く理解している。
大事な事は書いていない。
個人の責任の領分に残してあるのだ。
責任は個人であってルールにはない。
[曖昧さは、間違えない]
占いや巫女が伝える言葉は、曖昧な表現を用いる。
二択のうち、どちらにもとれる表現。
それは、神のお告げが間違えるはずがないから。
自己で解釈し行動する責任は、人にある。
神は常に正しい。
それが絶対だから、間違える訳にはいけない。
間違えを表現してはいけない。
言葉の中に、未来の結果と違う表現をしてはいけない。
正しいとしている道交法も間違えない。
青信号は「すすめ」では無く、「進むことが出来る」
と、している。
進んだのは、個人の判断。個人が責任を持つべき。
ルールでは決められてはいない。
コロナウィルスの対応として、人と接触しなければ、
問題がないという。
だから車でお出かけが許されるのか、家でじっとして
いないといけないのか、そこが微妙。
公園での散歩は問題がないとしながらも、
出歩くとコンビニ等によってしまう。
だから、外出は控えるべきだという。
ダイエットコーラは、血糖値を上げないので、
健康に良いはずだけど、医師はお勧めしない。
理由は、カロリーが無くても、
甘い物を摂取するという習慣から抜けられなくなるから。
曖昧さと真の理由が別に存在する場合など、
そのことを相手に伝えないと、
曖昧さ→ 自己判断→ デマや誤解
そう発展していき、最後は大変な事態に変わる。
オイルショックやコロナショックでなぜか紙が売れる。
デマは、誰かが出発点では無く、
一定の割合で同じ事を考える人達が現れて、
強固な確信に変わる。
交わることにより誤解を生じ、コミュニケーションを
行う度にストレスを抱えていく。
ハリネズミの抱擁じゃあるまいし・・・。
仲良くしようと思うほど、自分のトゲが、相手のトゲが
それぞれを傷つけてしまう。
トゲを身につけていることが罪なのだろうか。
そうではない。
トゲを身につけていると言う自分を理解して、
それを相手に伝えるべきなのだろう。
「君にもトゲがあって、痛い」とも伝えないといけない。
営業と言う職業は、必要な人に必要な物を提供するので、
本来喜ばれる仕事。
いろんな職種の架け橋になるはず。
いつも喜ばれ、幸せの中にいるはず。
しかし、実際の営業はそうではない。
「やめたい」とつぶやく人もいる。
今はマッチングの時代で、無作為に総当たり戦で、
出会いを稼ぐ部分は、ネットや電話で完了している。
だから飛び込み営業の効果は薄いし、
戦略的にもストレスしか生まない。
予定していない製品を
待っていましたと、買う人はいない。
欲しいなら、待たずに買うだろう。
それでも、営業は夢を売ろうとするだろう。
今度は、その夢が違うと言って、ストレスがかかる。
[ひとりぼっちでも平気、外から見たら群れている]
誰も嫌われたくは無い。
みんな静かに笑っていたい。
でも、youtuberには誹謗中傷が向けられる。
彼が何を言おうが、
他の人達の生活は何も変わらないのに、
批判的な意見をコメントする人はいる。
直接的にも間接的にも、全く関係や損得と無縁なはず
なのに、なぜか否定的なコメントは入る。
自分の意見と違うからという理由なのか??
クラスでイジメがあっても、
それがなぜ起こるのか、わからないという。
とても曖昧だ。
この深刻な問題に対して、
日本政府はいかなる対処も出来ずにる。
私達が何も対応が出来ずにいる。
他人が行う行動に意味もなく反論する。
まるでそうしないと自分が消えてしまうのかと
思えるほどに。
断片的な世界はいずれも共通な線でつながる。
それが共通の知識を共有しているからこそ。
共通の常識を強く相手に意識しているから、
自分の意見と共感が得られると思い、裏切られる。
共通の認識のもとに、自分の固有性が見てもらえない
だから、自分が否定されたと勘違いする。
仲良くなりたいと願う相手の姿と自分の姿を
見つめ直すと、つながってはいない関係。
互いの手の間には、見えない孤独がある。
手よりも先に当たっていたのは、互いの装いの
『トゲ』の方だったことに気がついていないかも
しれない。
共通性と思っていたルールや定義、民族性
考え方、習慣、言葉、そして、気持ち。
埋められていないルールによって、曖昧に離れていて、
それが傷害として、本当の寄り添いたい気持ちの
間にはびこる。触れることが出来ないまま、
互いに近づいたことに後悔する。
通い合えてはいない。
思い込みによって、一緒だと思わされられていた。
まず、相手にそのことを伝えることから、
始めていこう。
そうは言うが、それに気がついて、
本心を語り始めるのは、
すべてが終わったずっと先のこと。