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もうすぐ5Gがやってくる。今は、4G/LTE。いや、3.9Gだ。
3Gはもうおしまい。なんて単語が飛び交う。
4Gは、ドコモ(3GPP)とau(3GPP2)が一緒になるはずだった
けど、一緒になれず、3.9Gで4Gになれてはいない。
5Gで早く一緒になって欲しい所だけど、5Gって
あらゆる方式のミックスジュースみたいな意義で、
一緒になれないから規格を広げて、見た目一つにした感じだ。
黒人、白人、黄色人種の区分けを一つの規格の中で、
3つの人種を含める、どれを使っても良いと宣言したような
感じだ。
いっそ、新しく地球人と言う区分けで良いと思うけど、
そこまで一緒にはしないところがミソだ。
結局それぞれが独自路線を歩む道が残ってしまう。
結局、それまでの経緯の影響は大きく、
ジェネレーションを変えるという事は勇気を伴う行動だ。
通信の歴史は戦前からあり、アナログ携帯電話も最近まで
存在していた。
アナログはすべてがリアルタイムだ。
信号遅延は発生するけれど、信号を維持させたり、
遅延させる事は難しい。
だから、アナログは同期が難しく、回路の問題は、
一定時間同期させる為のディレーラインの設定が大変だった。
他も遅らせて、みんなそろったように見せる手法。
それはデジタルが到来しても変わらない。
マイコン時代も同期が問題。
メモリー同期やらいろいろ。
その時代、
ハードの上で動くソフトウェアは、別な土俵で戦っていた。
年配の人の中には、ファミリーコンピューターに接続する
「びゅー太」でプログラムを学習したと言う人もいる。
ファミコンが家庭に入ったことで、
プログラマーという職業が増えたかもしれない。
ゲーム機にキーボードを接続して、簡易的にソフトフェア
開発をして遊ぶ。
それすら子供には遊びになる。
今では、学校でプログラミングを行うわけだから、
きっかけは広く、みんながプログラミング環境に触れる
事ができる時代なので、ハードを持たないからできない
という事は無いのだと思う。
インターネットとい言葉が出た時、
「インターネットを何に使うかが、カギですね」とか、
「インターネット」自体をそれほど理解していない人達が、
あれこれ言っていた。今でも (反感を買いそうだけど)、
ユビキタス、ソリューション、モバイル、ウインウイン、
スマートグリッド、スマートXXX、エコXXX・・・・
商品ネーミングならば好きにして良いと思うけれど、
一般的な引用で使うのは、目的を曖昧にして良くないと思う。
もっと具体性がある日本語がいいし、技術者は好きだけど、
自分流の言葉を作る特定の営業技術が好きではない。
彼らは「言葉の創造」にご執心だ。
様々なトラウマを私に植え付けていったので、勘弁して欲しい。
勿論、全くの私の偏見と言う事は理解している。
今であれば、みんなインターネットは接続の手段で、
何がそんなに嬉しいの?
って感じだと思うし、モデムやISDNベースでD3は早いとか、
64Kbpsのデジタルとか、そんなスピード感、今知るのは逆に
無意味だ。この点で、過去の経緯は役に立たない。
だから、同じ言葉で未来を予測していたとか、先に進んでいた
とか、概念違いを棚に上げて言うのも、どうかな?? と思う。
電話回線とモデムでそれぞれのサーバーに電話して
つないでいたBBSの時代を知っている者にとって、
インターネットで違うBBSにもメールが出せる仕組みは、
驚くべき事だ。
それは、V.36やV.42モデムの文字訂正MNP4が入って
いない回線にPPP接続するためにATコマンドをぶち込んで、
文字化けと戦いながら接続するという、
「過去に戻る儀式」を通過してもつなぎたいと
いう意欲の動力となった。
また、通信がテキストからUIに変わった時期でもあった。
この時代が、ハードウェアが追従する概念から、
ソフトウェアというその上位の手段を提供する時代の
分岐点だったように思う。
だから、インターネットがどうこうでは無く、
未来はその上に乗っかるBBSの情報そのものに
変わることを、
その当時の人達がどれだけ知っていて、
未来を見ていたのだろう。
想像は、できなかったと思う。
だから、ハードが依存している事は確かだけど、
そのハードとソフトがそれぞれ複雑になりすぎて、
互いに、もしくはハードの部分であっても容易に
理解ができない時代に、それを取り持った仕組みは、
通信や信号形式という、互いに繋がるための一つの
ルール(信号規定、APIなど)が存在することが必要とされ、
その結果、互いにつながってシステムを構築できる様になる。
情報や接続の為のソフトウェアのルールが新たに必要な
パーツとして機能しだしたことになる。
そして、次に繋がるAIに至る今、同じ繰り返しかもしれない。
ハードウェアのアナログとの戦いはしばらく続いていて、
厳密には今でも続いているけれど、
それは別な手法から解消しだした。
ソフトウェアの成果、エミュレーターの開発。
もう、今やあらゆる事がエミュレーターの元に試作されている。
実際に作る前に何度でも試すことが出来る。
ハードウェアだけではなく、ソフトウェアさえも、様々な条件を
組み込んで、実際に時間経過で発生するケースを細かに分析できる
ようになった。
バーチャルな世界での現実の構成が、すべての事を加速させた。
このジェネレーションが、今一番の嬉々たる革新だと思う。
このバーチャルな試行は、やがて人間という物体さえも情報の
世界に送り込んでしまう。
AIがどういう概念とかではなく、人という情報がDNAをまるっと
まとめて、エミュレーターの中に組み込まれ、人の情報が
取り込まれた世界で、その中で試験的にシミュレーションが
繰り返される。
インタフェースの次のエミュレーターの存在。
その環境をどれだけリアルに繋げて、実社会をシミュレーション
するか。
これは、離れた人をつなぐインターネットが作り出した
「箱庭」という実験世界の創造に他ならない。
肉体という体から情報を段階的に切り離すことで、
思考やDNAという情報を含めて、
けがや物理的な死という枠から解放される。
人の意思が作られた電子頭脳に中に入ってしまうという考えだ。
それは、思考だけではなく、DNAの個人的な生体情報も含めて
まるっと、情報を情報として違う媒体に移してしまうこと。
DNAの情報は、体という物理的な生物の中に取り込まれている。
これをデータとして、情報そのもののまま扱えることになると、
真に生物が産みだした情報というランクが高次にシフトする。
同時に、別次元の「死」について考える必要もある。
脳の情報やDNAがコピー出来たら、その瞬間、
脳とコピー先は2つの人格が存在する。
脳の方が消えて無くなるということはない。
ファイル移動みたいにはうまくいかない。
ファイル移動は、ファイルをコピーして、その後で元のデータを
消す。この消すという作業に意味があるかどうか、それが不明だ。
ただ、意識がデータになった瞬間、その個体は光の速さで移動
できる。実際はコピーする時間必要なんだけど。
とにかく、地球の裏側に移動できる端末なり[うつわ]が
あったら、自分の情報を伝送して、擬似的に光の速さで
移動したことになる。
「どこでもドア」の完成だ。
ただ、この移動は、どちらの個体も存在するので、
正しくは分裂になる。
移動したい場合は、どちらかをkillする必要がある。
でも、わざわざkillする必要は無いとは思う。
その後で、双方情報を共有すれば良い。
そして、情報は自分の”死”には気がつかない。
人間もそうだけど、死んだ後は死んだことに気がつかない。
死にかけているときに、死を意識する。
情報の先にあるこの箱庭が、将来成立するのか。
そんな事は誰も知らない。
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