「このニー株の闇!」「バックレるな迷惑もの!」「もうブロック」
ぎゃーぎゃーわーわー。
日々ニート株式会社は元気に諍いがあります。
それが辛くないかと言われれば正直キツイなとも思います。
しかし、組織嫌いな私が一年半在籍しこのやっかいで無意味ともいえる弊社の意味を振り返ったときやはりここはあってしかるべき場所なのではないか?という結論に至ります。
所謂私は「まとも・普通」に憧れ続けた人生でした。
そのせいなのか何なのか、ある種まともやそれ以上のスペックを持った一般の人の中に住む異常なほどの歪みに出会ってしまう事が多々あります。
ずっと何故なのか考えていました。
出た結論は簡単なもので、出会った相手は常に私の鏡でした。
自己を社会の常識やこうあるべきという檻に入れ、抑圧し続けた成れの果てです。
本来の自分、あの時守れなかった過去・いえなかった事・罪悪感・恐怖
そういったものに傷つき泣いている自分がいます。でもこの社会って弱みを見せられないんです。醜く弱い自分を隠さなければ生きていけないって思わされているきがします。
「私は清廉潔白で努力家です」「僕は皆の幸せを願って行動しています」「自分の主張は正しく相手が間違っています」「脱落するのは自己責任!」
大きな声で強くて正しい言葉を吐く人は立派です。
でも何処かで泣いている小さな声を本当は聴きたくないだけではないですか?
ニー株って社会常識が通用しない場所で、でもだから本来の何ものでもない自分で居られます。素直に怒って喧嘩して、また笑って。
汚くて弱くて卑怯で、社会が隠蔽したいものがニー株には隠さずあります。
でもそれって悪いことでしょうか?
善も悪も弱さも強さも認めるのが人間的であり、ニート株式会社がこの正しく歪んだ社会に対する強烈なカウンターであり続けることを私は願っています。