旅するニート-[小樽]とにかくロシア

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

[小説風味]
日陰の雪がまだわずかに残る小樽駅。
そこから鉄道博物館の方に進むと、小高い丘が見える。
「なんで手宮公園まで行くの。」
「小樽がまるっと見える場所っていったら、見晴台か
手宮公園か銀鱗荘なんだけど、バスで行きやすいのが
手宮だから。それに鉄道博物館も近いし。」
「鉄オタですか・・・。」
「あ・・・それは良くない。男の子は大体が鉄道に
興味がある。」
言い訳をしながら手宮のバス停を降りた。
「・・・ちょっと待って、もしかして、この坂登るわけ?」
彼女が坂道を登り始めた僕の後ろで言う。
「そう。」
「嘘でしょ。・・・坂の終わりが見えないんだけど。」
「高い所と見晴らしの良さは、等価交換なわけで、
きっと期待できると思うけど。」
「それってきっと、苦しみも等価交換だよ。あと、
筋肉痛も。」
うつむいて膝を折る彼女の手を引き、再び登り始めた。

坂の上には手宮公園があって、植物園や花壇があるけれど、
その前に大きな400mトラックがある。
何人か、コースに入って練習していた。
「ベンチの上を通って、木の間から見てごらん。」
登り切った後、日陰のベンチで休んでいた彼女にそう告げる。
「この下に100年前は石炭を積み出す船が停泊していた
らしいよ。」
後ろから彼女を支え、視線を港に誘う。港には新潟行きの
フェリーが二隻みえる。温度が上がっているせいか、景色は
地上付近にモヤがかかっている。だけど、海の青さは碧く、
海と遠く増毛の山の陰だけが白い背景に描かれた絵のように
見えた。
「うみ、ずっと下だねぇ。」
のぞき込むように下を見ている。
「ところが、船に石炭をつむために、木造の橋を貨物車が
上がって行くところが、この下にあったらしいよ。
20mぐらい登って、そこから石炭を落として船に
積み込む仕組み。」
「へー」
興味ないかなぁ。
短くつぶやいたあと、くるっとこっちに向き直る。
「で、この後は、下の花壇を見て行く?」
そう言いながら、彼女の視線は僕の後ろに移っていた。
「あれ、なに?」
言われる方を見ると、記念塔の様な物が見えた。
それは草に隠れて頭の一部が見えていた。
「何かの記念碑?」
ぽつっとつぶやく彼女。なにげない質問だと思う。
それは忘れられつつあるロシアの大地の記憶。
「尼港事件の慰霊碑だと思う。」
「にこうじけん?」
「尼港事件はずっと昔、100年ぐらい前にこの対岸の
ロシアで起きた虐殺で、日本人や中国人、韓国人が
略奪や虐殺、冬の凍り付いた川に投げ込まれたりした
事件で、6000人ぐらい犠牲になったらしい。日本人は
1000人以下で、ほとんどが地元の中国人とか。」
この事件はロシアのニコラエフスク港で起こった事件で、
ロシア革命に伴う赤軍パルチザンが街を襲ったものだ。
とはいえ、一部の朝鮮人や中国人がパルチザンに加わり、
政治的な組織ではなく、略奪を行う集団になってしまい、
現に事件後、その多くはどこかに消えていった。
犠牲になった方は、
中国人、ロシア人、朝鮮人、日本人、ユダヤ人など。
同族の無抵抗な人達をためらいもなく殺していく事は、
どの時代も変わらない。
慰霊碑は、小樽のほか、熊本県天草、茨城県水戸にもあるらしい。
この時、戦艦 三笠が現地に行こうとしたが、氷に阻まれ対応が
出来なかった。翌年、対応ができる様に砕氷艦 大泊が作られた。
大泊はサハリンにあった町の名前。
来年3月に事件後100年を迎える。

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