気がつくも何も、才能なんて・・・

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

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「おまえ達には、才能がある」
大抵のドラマは、それから始まる。
『偉人の伝記』と同じ感じ。
自分とはスペックが違うことを理解し、高望みをしてはいけないという点。
子供達が早くそれに気がつけば、幸せになれるけれど、大抵は『自分もヒーローになれる』と考えてしまう。
ヒーローを見習い良いことを行うのではなく、ヒーローになれると思ってしまうと悲しい結末になる。
映画『キックアス』では、主人公はヒーローのまねをするが、それは「どうして誰も、助けないんだろう」と言う疑問に対する行動だ。
ヒーロー自体になるのではなく、ヒーローを見習って正しい事をした点は違う。自分の能力を知っている。

才能とは、はじめから個人の力量が違うと、される。
それは子供の頃から積みかさねた経験が作った物かもしれないけれど、他人との圧倒的な差があることが条件だ。

つまり、みんな同じに生きていると、『才能』は作られないし、ヒーローにはなれない。
違う環境が才能を作る。
そんなに違う環境で育つ人は、日本では少ないから、大抵は同じ能力に特化してしまう。
子供にサッカーをさせる親は多い。子供の頃からサッカーをやれば、サッカーはうまくなるけれど、うまいグループの中で更に順位が出来て、その中のトップだけが『才能がある』と言われる。
それ以外の人達も、それなりにうまいのに、あんまりだ。
視点を変えると、誰もが同じ才能を持っているから、みんな平均的になる。
誰もがサラリーマンになると、そこでは誰もが平均以上を求められるから、能力高めじゃないと外圧が強く、ストレスがたまっていく。
そう言う中でストレスがたまらない平均は、5段階中「4」のポジション以上。
40名くらいの教室で、4,5をとれるのは9名程度。
2割強が、ストレス無く暮らす。
残りの7割りの生徒は、優位に立てないストレスを少なからず感じる。
それが、社会人になって、サラリーマンになっても一生続く。
そんな状態で、気持ちがおかしくならないなんて、あり得ない。
7割の人は何かしら、ストレスを感じていると思う。

決して才能がないわけでは、ない。
周囲と比較すると差が無いと言うだけ。
違う環境の人達とは才能が見えると思う。

自分の才能は、違う環境の人達と交流を深めないと見つかりにくいと思う。
それは優劣ではなくて、個人的な才能。

ニー株という社会の中で、サラリーマンが正解なのかどうか、感じてみることもアリかもしれない。
ニー株は、サラリーマンも受け入れてくれるかもしれない。
仕事をしていても、自分が社会で機能している欲求を満たされなければ、それは働いていると感じられないかもしれない。
ニー株は、精神的なニートも受け入れているから、『アリ!!』かな。
人の基準って、視点の位置で大分変わるから・・・。

ニー株の説明会が、視点を変えるきっかけになるかもしれない。

https://entry2021.neet.co.jp

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