御利益を探す旅

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

今年は金運も悪いし(・・・いや、いつも悪い)、この運気をキャンセルしようと、1ヶ月前に、山梨県の武田神社に行った。
こんなにコロナが爆発的に増える前だけど、やっぱり影響を避けようと、午前中に行って1時間滞在して帰るって、なんとも、もったいない旅行。
ま、そのため渋滞にもならなかったので、昼過ぎには家に帰ってしまう感じ。
結局、今年の夏は、それしか行っていない。なんとも不自由な感じだ。

で、武田神社と言うからには、壮大な社と御利益を期待したのだけど、まあ、敷地は広いけれど、なんか新しい。
どうも、発掘調査後に神社になった感じだ。
え、武田信玄の武田神社だよね・・・って思ったら、そもそも徳川の時代に武田がはびこれるはずもなく、明治までは幕府の直轄地だったみたいだ。
それでも、江戸時代に武田に夢見る研究者的な人もいて、そう言う人が武田の土地を守っていたようだ。
地元はと言うと、決して武田びいきではなく、甲府城を中心として町は「without 武田」で進行していたみたいだ。
武田ブームは、明治以降の事みたいだ。
なんか、拍子抜けした。
甲府の武田は、そもそもは新羅三郎から始まったとか、河内源氏家の派生だとか、大体の武将が源氏、平家の派生なんで、その当たりは気にならないけど、平安から移り住んで来たのは、その時代の流れではある。どこも同じような時期に地方に移動している。
ただ、水戸藩とか佐倉氏とかは地域と仲が良かったりして、いつまでも慕う流れだけど、山梨は意外とあっさりしている。
どちらかと言えば、江戸時代に統治していた人が良い人だったので、甲府城を中心に反映した。それで武田は忘れてしまった様なので、それはそれで良いことなんだと思う。甲府藩があったけど、直轄地時代が長いみたいだ。

武田信玄はもういない訳だし。
だから、武田神社はこの程度で良いのかもしれない。
何でも徳川家康は、武田の家名を保護していたらしい。なんとも不思議な感じだ。
実際、子孫は再興して武田を継いだりしていたようだ。

あまりに過大な御利益と過去の栄光を夢見て、参拝に来たけど、まあ、歴史を知ってそれはそれで良かったと思う。
今度、時間があったら、甲府城の方に行ってしっかり見たいと思った。
山梨と言ったら、「山梨ヌーボー」。なんかコロナ過でも去年は山梨でやったらしい。マジか・・・・。楽しみにしてたのに。
今年は、ますますダメな気がする。来年だな。

でもこの土地って、甲府、山梨、甲斐、中央、笛吹、甲州、南アルプスが一つの広がりの中にあって、不思議な感じだ。
横浜なら、まるっと横浜市とか、なまじ山に囲まれているので、この盆地そのものが一つの市で良いんじゃないのかなと思ってしまった。
そのぐらいまとまった町の作りをしている。
まあ、東京と川崎、横浜の鶴見区なんて、川がなかったら区別がつかない。
そう言う地域はたくさんあるのだけど、周囲が山だとホント、一つの国みたいに感じる。
太古の人達も、そう言う気持ちでこの地を見ていたのだろうか。

で、肝心の御利益だけど、まるでダメでございます。
宝くじ、全く当たりません。
神社のおみくじは「大吉」だったんだけどなぁ。
善光寺で「凶」のおみくじを連チャンで2回引いたときより、いけてない気がする。
うーーん、次なる開運グッツを探さないとな。

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