死滅する細胞と存在

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みのむしクリップ

みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

世の中に普通にある「死滅する常識」。
常時第一ボタンをはずして高校生的な着方のサラリーマンやPC一つで自分の席を持たず仕事をするサラリーマンの時代には、いくつも死滅した常識が存在している様に思う。
その存在を悲しむべきか、慈しむべきか、怒るべきか、死滅に自分も死んでいくことを予感するべきか、まるで分からない。
例えばメールの書き出しは、いまの一部の人達はいきなり相手の名前から始まる。社外の人に対しても同様だ。
前置きもなく本題に入る。
また、最近の人に、「どうして変なところで改行して書くんですか?」って聞かれたことがある。
テキストメールがベースの場合に、半角文字はダメとか、38文字で改行とか、書き出しの改行はダブルスペースとか、昭和の文化から引き継いだ流れがあるからだ。
そのことは、本来まだ変わっていないと思っていたけれど、文章がメールで送られスマホで見るときに、その改行は奇妙なずれとして見えてしまう。郷には入れば郷に従えというように、スマホの文化ならば、スマホに合わせるべきなのかもしれない。
世の中はワープロやタイプライターの時代ではなく、さらにPCの時代でもなくなりつつあるので、多数決としてスマホでのメール確認をする人達が増える。メールの改行自体、意味が無くなる。

確かに、おいらが書くプログは見にくい。

PCだとそんなに変でもないけど、自由に折り返してくれる、今みたいな書き方の方が、良いのかもしれない。
だけど、正直、変な気分。
こういうことから世の中の常識はひずんでいて、時に多数決だったり、時に独裁的な判断の下にあったり、結構うつろな存在が、「常識」という言葉の姿なんだろう。
「常識がない」という言葉自体が、もう、どこにいるのか分からない不思議な世界に思えてしまう。
「その言っている常識って、何ですか?」

今時の人が、昔の人に言いそうな台詞だけど、現在進行形でかわる常識の認定は、その多数決の人数でしかないのかと思えてくる。決まったルールが存在するという考えが誤りで、事実、時代の流れはそんなにも早く切り替わる。
それは、優先席に座っている人がスマホを操作している時代だから。

もう、この表示自体が意味をなさない。
しかるべき機関としては、ARIBの資料で携帯電話の影響がない距離は46cmという発表もあるけれど、それも電子通信事業法の機器認証の検査項目に、人体模型を使った電波吸収率(SAR)を測定するように定められている。
安全かどうかというより、吸収率という数値化でどこの携帯電話も、SARは公表されている。
ただ、レベルは基準よりは低いけれど、医療機器に影響があるかどうかは明言していない。
一般人は、もうどこでもスマホを使う事に抵抗がない。トイレでも風呂でも、寝るときも。
本当にそうだ。スーパー銭湯の脱衣場でスマホを操作している人はいる。ガラケーでは、いなかったけど、今は普通にいる。すでにそれが当たり前なんだろう。それを見て、怒る方がどうかしているのかもしれない。
風呂上がりの久しぶり晴れた変わらない夜空を見て、なんかすくわれた気になる。
変わらない物もあるんだなと、変わらないでいたい自分はなぜか安心する。
でも、わずか1000年後には、星空さえも同じではないらしい。
変化は、受け入れないと、やっぱりいけないんだな。

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