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我が家には1匹のペットの犬がいるのだが、コイツを見ていると、たまに思うことがある。
これで、幸せなのだろうか?と。
人に保護され、食うものに困らず、何とも気楽な生き方で、私たちニートにとっては、ある意味、理想的な生き方ではあるのだが、一方で、幼い時から実の家族とは一方的に別れさせられ、人の社会で、人に行動を支配されて生きるその命の是非については、考えさせられるものがある。
そんなこんなで、「生き方」というものについて、私の考えをここに記しておく。なお、思考の経過を全て書くと、色々と長くなりそうなので、いきなり結論を書いてしまおうと思う。
人を含めた、あらゆる生命の究極の意志は、「存在し続けること」だと考えている。
特に、生きることに意味はない。と言うか、定められてはいない。1つの個体そのものが、どう言った結末を迎えようとも、それは些細なことである。(特に人においては)その個体が何か特別な使命を受けていたり、為すべき事が定められてはいない。ただし、あらゆる生命は、可能性を託されている。そして、その可能性を個体は、自らの意志でもって選び取る事ができる。(つまり、為すべきことを自ら設定し、実行することはできる。)
存在し続けるために、各個体が選び取った様々な可能性こそが重要であり、そういう意味で生き抜いて、自らの生を全うしたその時点で、その個体には生きた価値がある。
(ちなみに、余談ではあるが、この世は、より安定した?収束を目指して、大小様々な形態でループを繰り返しており、生命もその一環として、不確定性を受け入れた上での最終的な安定を目指した存在であるという自論がある。)