
社会にいないと、時代に取り残される
社会と言われている社会は、常に暴走する暴走機関車だ。暴走しても機関車だから、いつもレールの上。つまりは社会の指導の下に暴走する。列車に乗れなかった者達は、その社会からあっという間ら離れてしまう。目的地が正しいかは、知らんけど。
NEET株式会社の取締役達が日々のことを更新します。
社会と言われている社会は、常に暴走する暴走機関車だ。暴走しても機関車だから、いつもレールの上。つまりは社会の指導の下に暴走する。列車に乗れなかった者達は、その社会からあっという間ら離れてしまう。目的地が正しいかは、知らんけど。
スマホは行動を阻害するけれど、メデイア自体は問題ではない。その時間をどうとらえるか、ということ。時間をムダにしているけど、その時間を提供する事でお金を稼いでいる人もいる。
自分という人間は、どこに居場所があるのだろうか。遺伝子レベルで生存してきたけれど、そもそもそれに意味があったのか。地球の意志かも解らないまま、個人に自問させるなんて、自然や地球は何を求めているのだろう。進むべき道なんて、はじめからなかったのかもしれないのに。
メイド・イン・アビスはなんともいえない感じ。何かの対価に人の犠牲が出てくる。意味のある犠牲かどうか、そんな犠牲も犠牲でしかない。動物は割りとよく死ぬ。それは餌さとしての自然の要求があるから。でも、人は大抵その免罪符を持っていると思い込んでいる。
昨年12月から書き始めたプログ。今回で200本が突破する。まだまだ、ニー株ブログのほんの一部。ニー株のブログは奥が深いのです。腐海(ふかい)の森です。・・・腐ってはいないけど。結局、核戦争って起きないね。・・・ズレた。
ドビーほどには、なれない。彼は忠誠を誓い、魔法が使え有能だ。ぼろを着ていても元気に働く。ニートとは逆に位置する存在だ。だって彼には生まれながらに能力がある。生きる為には稼ぎが必要だけど、それは個人の資質にも関係するから、すでに差がついている。
人年の歴史で、明治、大正、昭和、平成、令和。どの時代が一番エネルギーにあふれていたかは実は、大正かもしれない。昭和は二度目の革新で死と生の二面性だ。でも、ノスタルジーをそそる言葉は、明治だと思う。明治に残る写真も多く、江戸よりも形に残る物が多いから。
「イーカー、力とは金や文字じゃないぞ。」「力とは、これだ(力こぶを見せる)」このやりとりは好きだな。特に今の時代。一度、その原点に戻った方がダメージは少ないかも。だって、ケンカは、はじめの5分で終わるし、自然界のオスの争いも口がデカいか競うだけ。あまり死なない。
ある人は描かれた絵の白い部分を見て、ある人は黒い部分を見る。だまし絵の話しだ。だまし絵らはいくつかの絵が組み込まれているけれど、それを識別するのは人の概念。あるときは、多々しく、あるときは間違っている。
これだけ情報が充実してくると、そろそろ人間同士の「脳」が直接話しても良いんじゃね?? でも、それって、口で話すのとどちらが早いんだろう。思っている事が口から出てこないから、テレパシーの方が便利と思っているけど、ぐちゃぐちゃなイメージを送られても困るだけ。