2024年は戦時中

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みのむしクリップ

主に電気関係で仕事をしてきたけれど、気が付いたとき、日本の電機の会社ってほとんどなくなっていた......... そんな需要のない今を 日々生きています。

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今年は春から暑い。
夏にはもっと暑くなるのだろうか。タイヘンだ。
夏になると第二次世界大戦の話が中心になる。
戦争の話になると、
「国民は騙されていた」
みたいな風に犠牲者の話ばかりになり、軍部は赤紙一枚で人の命を好き勝手にした・・・ようなことを聞く。
だけど、軍部って何?
敵なの? 味方なの?
もともとは、国民に指示された上に成り立つ組織だと思う。
大正時代はもっと民主的だったものが、軍部の暴走によって次第に意見できない組織に変わってしまったことが、戦争の根幹だと思うけど、そういう社会を受け入れたのも また、国民だと思う。
「自分たちが生き残る環境を作ろう」
そういうふうに出来たものが、人の命を求めてしまう時点でおかしいことに気が付くべきだったし、やめるべきだったはず。
「騙された!!」
と、言っている人が騙していた本人という話。
前世紀の戦争を否定した人たちはそういったことにも気が付いてほしい。

だけど、人の「意識のゆがみ」は、簡単に止まらない。
そして、その歪みは、常に現在進行形なのだ。

マヤ文明が太陽の復活のために、毎日一人生贄を捧げていたようなロジックが、今でも簡単に起こってしまう。
太陽は人の生き死にとは関係なく存在しているにもかかわらず、人は犠牲をはらったのだから対価を得られるものだと勝手に考えてしまったりする。
ユダヤ人の神が、ユダヤ人以外を救うなんてわからないのに、勝手に崇拝している。
神様の都合すら、自分都合で勝手に解釈してしまうのが人間。
宗教は定義づけ次第たけど、社会的生活においては、いかにもありそうな理由を持ち出して、それが正論と惑わせる人たちも多い。オレオレ詐欺みたいな状態が世の中には多々あるものだ。

最近電車でよく聞く「かばんは前に抱えて持ってください」というのも、どういうメリットがあるのか、よくわからない。
足元は見えなくなるし、腰痛はひどくなるし。
妊娠したらこんな感じだろうなと、性的不平等をなくすための疑似妊婦体験のすすめなのだろうか。
鞄を前に抱えて持つメリットが、全くわからない。
鞄も背負うための形状だし、小学生のようにランドセルを前につけるヘンテコな遊び心ってわけでもないようだ。
だから、混んできたら、昔ながらに鞄を下に置くという動作に移行するのだけれども、鞄を前につけて突進してくる怪しげなロボット集団に戸惑うばかりだ。
「主よ。これがあなたが与えた試練なのですか」
キリスト教徒で無くても、そう尋ねたくなる。

天下のJRの車内アナウンスが、
「鞄を前に抱えるなどの配慮をお願いします」
と勧めるから、それが社会において絶対正義に違いない。
それを否定するのはマイノリティーとしてまとめられ、『非国民』の二つ名を付けられてしまう。
ニート以外の呼称が追加されたことにより、親も泣き出す始末だ。

そんなガチガチに社会は固まっているから、「自分の正論」って思い込みを自由にネット発信してしまうと、途端に炎上という制裁を受けて、さらに親が泣く事態につながってしまう。
何をしても親が泣くコースだ。
だから、戦時中に「間違っている」と発言することは難しい。

「戦争中になぜ戦争に走ってしまったの?」
という小中学生の課題にあがる夏の時期が近づいてきている。
「いまが、そういう戦時中と同じ状態なんだよ」
そう、優しく教えてあげてほしい。

今年も思い出の夏が近づいてくるし、世界では戦争が続いている。
ひとが受け入れる気持ちで向き合わないと戦争は無くならないし、まわりの人とも仲良くなれない。

でも、嫌な気持ちは、報復で返そうとするのが人のキモチでもある。

「相手に喜んでほしい思いも背中合わせではなんだか残念」

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