
みのむしクリップ

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[普段は入る事ができない検疫所の門]
北里先生のお膝もとで、図書館から借りた本を売っちまった野口先生が、とりあえずほとぼりを冷ましに出向した長浜消毒所。日本の検疫の形を模索した時代に、木造建築ながら第一級の調度品をそろえて、海からの景色が美しい旧長浜検疫所一号停留所の年一回の公開日が今日行われた。
年一回でっせ。更に今年はコロナで3年ぶりの公開。
明治の早い段階に建築され、関東大震災で改修された重要施設でもあります。
勿論、有形文化財に登録されている。
明治の時代、鉄道が品川 – 横浜間を真っ先に走ったのは、地域自由民の為じゃーぁない。だって、鉄道は、海の上に道を作って走っていたので、川崎なんてガン無視だし、品川から新橋、東京と伸びたけど、目的地が横浜だから、そこは変わらないというぐらい、横浜に行くだけのために作ったのが鉄道。
それまで、何も無かった横浜が、そんなに重要かというと、横浜が日本の玄関口になったからに他ならない。
今で言う、成田、羽田空港みたいな扱いだった。
空港まで交通機関が自動的に引かれるように、海外の玄関口の横浜に鉄道を引いた。
当然、海外からの出入りが増えると、空港にある様な検査施設も必要になる。
無防備だったときは、コロナのごとく、コレラが流行ってしまったり、死者も7千人という被害が出たので、検疫所を作る事にした。
それが、この長浜検疫施設。
そして、そこに野口先生が来て、「世界の野口」につながる活躍をするわけです。
ちなみに、野口先生の母上はスペイン風邪で逝ってしまいました。
そういう意味でも検疫って、大事。
最近では病気を媒介する昆虫や外国種の生物の侵入など、問題になっているので、防疫の手を緩めることはできない。
長浜停留所は、感染したかを一定期間滞在して、様子を見る施設。
発病した人を隔離したり治療したりは、別にあったみたい。
今は、民間施設利用になっているらしいけれど、とにかく日本が海外と広く交流をもちはじめた過去の足取りを知る施設なんだけど、入れるのは今日だけなんだよな。
また、設備がある横浜検疫所、輸入植物や食品を検査しているどころは、来年、横浜みなとみらいの合同庁舎に入るらしい。
そうなると、来年は公開されるのか、どうなんだろう。
木造建築で、裏側は結構痛みが激しいので、修繕も必要だと思う。
利用者が増えれば、費用も捻出できる。
いっそ、みなとみらいの観光地に、すべて移転した方が良いのかもしれない。
複雑な感じはする。
[うさぎ固定器]
ウサギを入れて吸うための器具・・・では無い・・・。
最近、椎名林檎のCDについてきて物議を醸したマークに似ているけど、違います。
船で商船とかに乗り込んで、お仕事中のマーク。
昔の検疫スタイル