みのむしクリップ
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自然環境に対しての意見にクレダさんが同調して、彼女の意見に世界が同調する。
「レジ袋は必要ですか?」
そう問いかける人達の言葉で、なんとなく違和感を感じ始める。
レジ袋って、何?
そもそも、誰が始めた物なの?
私的にはレジ袋は便利な存在で、
「レジ袋は必要ですか?」
の問には、迷わずYesと答える、反自然環境支持者・・・では無いんだけど、レジ袋無しで持ち帰る準備をしていないので、その選択肢しかない。
コンビニで、宅配って選択肢があって、30分後に届けてくれるという、退廃的なシステムが存在したら、そっちを選択するかもしれないけれど。
買い物かごを持ち歩く習慣は、無くしたまま、復活するかは怪しいところだ。
それより、問題点はビニールなのだから、紙製のレジ袋が出来れば快勝するのではないかと思う。
そっちの方が現実的な気がする。
そうすると、考える事は、レジ袋は誰のため?
世の中は複数の意見から出来ている。
毎日当たり前だと思っている事も、たくさんの聞こえない声と重なって生活している。
聞こえない声が聞こえたときに、それが有効なら『ナイス、アイデア』になるし、他の人から[いいね]を得られないと『とんでもローカルルール』としてノミネートされる。
食品売り場やコンビニでよく見られる『通路に商品を陳列する行為』も場合によってNG要素が強いと思う。
元々は、過去の市場の雑多な雰囲気から、近代的な広い空間を見通せる、広々とした売り場を提供していたと思う。
しかし、時間の経過と共にいろいろ置き始めると、かつての市場のモードになる。
じゃあ、はじめからそういう風にデザインすれば、きちんとした陳列の場所が確保できて、「冷房の弱い場所に食品をならべる」、「直射日光のある場所に食品をならべる」なんてことも起こらず、食品が傷んだりも起こりにくくなると思う。
プラスしたり、マイナスしたり、ローカルルールで対応すると、はじめに考えられた構想というシステマティックな要素が敗退して、なんだか意味がわからなく感じる。
レジ袋は何のために作られたのか。
レジ袋が無くなると、店側は、すでに代金が支払われて、顧客の持ち物になった”物”に勝手に自分の店のシールを貼ろうとするし。
「シールで良いですか?」
そう聞かれても、
「良いかと聞かれても、私の持ち物に、なにもする必要は有りません。」
って、答えたくなる気持ちを抑える。
見方をかえると、なんだかとっても、変に思ってしまう。