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■新たな幕開け
生物は、情報と体が一体。
それは、脳の形状自体が記憶だからだ。
脳の神経細胞が、どこを通って信号を伝えたかという経路が
覚えた記憶そのものになる。だから、紙に書いてあるような
決まった記号としての記憶ではない。
この経路としての記憶と、コンピューターのON/OFFの信号を
同じ様に扱うのは、至難の業だ。
そして、それは人ごとに違う。
大味、似ている経路を通るけれど、みんな違うから、機械で
その経路を他人にコピーしても記憶のコピーにはならない。
これは、頭をけがしても、違う経路を使って昔の記憶を思い出す
という時や、脳の一部が血栓などで壊れても、リハビリで元の
動きができる様になったり、そう言うリカバリーとして役に立つ。
脳は、このように情報を絵のような経路のイメージとして扱って
いるが、コンピューターは、1/0の文字で表されるような
テキスト的なデータ列の情報として扱う。
よく、脳とコンピューターは仕組みが似ているといわれるが、
そもそもの概念や処理方法は大分違う気がする。
また、コンピューターは、情報と情報のデータを処理する部分が
別になっている。この処理という行為も、人間は違う記憶にして
覚えていくという事を行うし、その時もやっぱり経路で覚える。
コンピューターも細かくは処理したことを少しずつ覚えて処理を
進める。やり方は、とても近い。
でも、構造が違いすぎる。
だから、人の脳に記憶を増設するのは難しい。
人の脳が持つ情報を解析して、それをデータに変換する方が
はるかに出来そうな感じがする。
個人が持っている映像イメージ、文字として変換出来る情報を
デジタルデータとして、抽出する。
一概にデータと言っても、画像として連想される絵は抽象的だし、
はっきりとはしていない。
また、これに連想される言葉も、形状が似ている言葉すべてが
関係してくる。サッカーボールだとしても、同じものでチョコ
レートの銀紙のデザインから「チョコボール」と記憶していたり、
どこかの町のガスタンクにサッカーボールの模様が書かれてい
たら、これもその画像と一緒に覚えないといけない。
ただ映像と言葉のそれぞれの記憶ではなく、その関係が重要。
記憶だけなら百科事典と変わらない。
個人を個人と特徴づけるのは、その記憶の結びづけ。
という事で、あらかじめ無数の関連づけを持ったデータベースを
一つ作れば、すべての人の思考が蓄積できることになる。
あらゆる関連性を記憶して、その関連付けが、どれとどれか、
番号の組み合わせのように記録したものが、その人の記憶と同じ
物になる。
全部を覚えている記録から、いらない関連性を消すと、それが
個性を持った個人の記憶の集合という事になる。
一つ作ると、すべての人の記憶を再現出来るはずだ。
デジタルおじいちゃん(故人)のできあがりだ。
いつでも死んだ人と会える。
誰とでも。
その「故人識別カード」を使うことで・・・なんて未来がある
かもしれない。
さらに、ここでできあがった瞬間、人と機械で再現した記憶の
二つの人格が発生する。
同期が終わった瞬間、それぞれが考えて作り出す記憶に違いが
出て行き、似た性格の人が二人になるという話。
そう、それがさらなる進化。
そのすべての記憶の組み合わせを備えた機械があると、人の特徴
だけを記録した記憶の組み合わせデータを転送するだけで、
擬似的に光に近いスピードでその人が移動したことになる。
ある意味、「どこでもドア」。
まあ、分裂だけど。
そうなったら、移動や旅行という概念が、記憶のやりとりで
完結してしまうんじゃないかとか、そもそも自分の意思を
コピーしても永遠には生きられないじゃないかとか・・・
まあ、それも次のさらなる進化にたくそう。
コンピューターのデータが脳に増設できた時、それは脳に対して
デジタルデータがイメージとして伝達できるという快挙で、
その時に脳の新のコピーも出来る
→脳の一部を機械に置き換えるさらなる時代になるのでしょう。
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