何者の話

 

前回のミニマリストに少し関連する話です。

大学時代、朝井リョウ氏の『何者』という本を読みました。

ストーリーの詳細は全く覚えていませんが、内容についてはなるほどなあと思った記憶は漠然とあります。

特にタイトルの‟何者というワードは、アイデンティティなどとも少し違っていて、これぞまさしく言いえて妙だと強く感じた覚えがあります。

 

就活と何者

人は何者かになろうとしているのだと思います。

「人生とは自分が何者であるかを見つける旅である」なんてセリフを今適当に作りましたが、どこかの有名な人が言っていそうです。

小説の方の『何者』も、就職活動のなかで自分を見つけていくみたいな話だったと思います。

一般人が自分の人生の中で何者かになるターニングポイントとしては、就活はなるほどまさしく堂々の第一位です。

職を得るだけで経歴として語ることができ、自己紹介(自分が何者なのかを他者に明かす)の際に職業はほぼ間違いなく使われます。

そして就職活動に失敗することは、自分がなるべき何者かになれなかったことを意味します。

 

ニートと何者

いい歳して職を持たない人はかつて、プータローなどというダサい名前で呼ばれていました。

それどころか、あまり社会に認知されていなかったのではとすら思います。

ニートというややかっこいい響きの称号が生まれたことで、彼らはより強い何者かになることができ、存在を強めたのだと思います。

まあ、名前があるから存在があるのか否か、みたいな話は昔からありますが。

 

称号

少し脱線しますが、子供の頃やったテイルズオブシンフォニアというゲームに、称号というシステムがありました。

剣豪とか優等生とかすけべ大魔王みたいな称号を取っていくのです。

単純に言えばコレクティング欲を刺激するだけのやりこみ要素なのですが、深く追求するならばそれだけではない気がします。

称号というのはある意味、コレクションするべきほど価値があるもの、ということなのかもしれません。

ハイパーメディアクリエイターとかは主に何を狙って付けたんですかね。

 

ブロガーと何者

ブログも書いてみて分かりましたが、どことなく何者かになった感を醸しながら書いている気がします。

たとえ素人だとしても、ブロガーなどの発信者や表現者が影響力を持つためには、何者かである必要性が高いのでしょう。

読む人にとってはどうでも良かったり、何者というよりむしろ何様感が出ているわけですが。

ただ、成長の段階として、何者かになったふり、というのは重要な要素だと思ったりもします。

俗にキョロ充と呼ばれる人たちや根拠なき自信を持つ人なんかは、あくまで成長過程として必要な途上存在であると言えます。

 

何者の範囲

まあでも、何者かになりたい範囲は人それぞれなのかなあと思います。

世界中の人から認められる、後世にも知られるような何者かになりたいという人もいれば、自己ひとりにとって何者かでありさえすればよい、という人もいるのでしょう。

大きな範囲での何者は承認欲求を満たすことはできますが、それ相応のリスクが付随します。

大多数の一般人は自分が何者かになるよりも、既に何者かである権威(大企業など)に寄り添うことで、リスクを抑えながらもより強い何者感を獲得することを選択している気がします。

妥協と言えばそれまでですが、良いとこ取りの上手く賢い方針だとも言えます。

 

最後に

映画の『何者』はさながらホラー映画らしいですね。

確かに、人間誰しもが生まれた時点で誰かにとって何者かであるわけで、もし真の意味で何者でもない人がいたとしたら、それはまさしくホラーです。

まあこういう意味でのホラーではないのだと思いますが。

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