人生の話2

人生の話1とのつながりはないです。

それどころか、この文章内自体もちょっとツギハギになってしまいました。

とりあえず、さっき風呂場で思ったことをまとまりなく述べてあります。

 

人生の目的

私には夢があります。

しかし果たして人間は、自分のやりたいこと、成し遂げたいことを達成することが最も大切なことなのでしょうか。

人生は自由です。

自己成長を求め続けて生きても、人に認められようと生きても、他人や社会のために生きても、欲望のままに生きても、怠惰に生きても、妥協しながら生きても、何も考えずに生きても、自由です。

 

迷い

自分で決めた自分が正しいと思う道を生きていても、ことあるごとに、果たしてこれは本当に正しい道なのか、もっと違う道があるのではないかと思ってしまいます。

何事もトライ&エラーを繰り返してより良くなっていくことは理解していても、そういった悩みの壁にぶつかるたびに、進退の判断を迫られます。

そもそもそれが本当に壁であるのか、ただのハリボテの可能性もあれば、到底超えられない絶壁である可能性もあり、はたまた壊してはいけない柱である可能性もあります。

 

堕落

一度決意を固めて取り組んでいるはずだったのに、長引くにつれてなまけていき、だんだんと意志がフラフラしてしまいます。

もっと人と接触したり環境を変えたりして思考を柔軟にし、視野を広げるのが一番な気は感じています。

しかし、誰かとやりたいというわけでもないうえ、もらった恩を返せる器量は無いので、基本は孤独にやっていくしかありません。

 

ドット

コネクティング・ザ・ドッツという言葉があります。

ドット(経験)を増やしておけば、後々それらが繋がって複数のラインとなり、より大きなものを形作ることができる、みたいな考えです。

スティーブ・ジョブズが講演で述べた言葉ですが、近年イケてる人界隈?でよく使われている気がします。

説得力があることがよく使われる理由なのだと思いますが、私は、言い訳的に使用することが容易であることも、理由の一端であると思っています。

例えば私も今現在、リスクもない癖に何かやっている気になれる、ブログ記事を書くという行為をしています。

勿論これも、将来的にコネクトできるかもしれないドットを増やしているのだ、と良い方向に考えることはできますが、どちらかといえば明らかに逃げの思考です。

テスト前の学生が部屋を整理し始めるのと、大差ありません。

本気で何かを成し遂げたいのであれば、離れすぎたドットや小さすぎるドットを無目的に量産するよりも、初めの段階である程度形作る存在やラインを設計したうえで、ドットを打っていくのが良いのでしょう。

その他のドットは、まだ設計図が描けない時や時間のある暇な時、もしくは行き詰まった時にでも打てば良いのです。

<追記>

今日起業セミナーに行ってきたらまさにこの話をしてました。
コネクティングザドッツにはいくつか解釈があることは知ってましたが、やはり別の人の意見には別の人なりの説得力がありました。

 

最後に

以前、私とよく似た性格を持つ知り合いが、悩みを持ったことが無いと言っていました。

それを聞いて私も、なるほど確かに私も悩みと呼べるほど悩んだ記憶は無いなあ、などと思いました。

しかしこうしてブログ記事を見返すと、客観的に見て悩んでいるように見えます。

もしかすると自分でも気づかぬ心理なだけで、表面的に強がっているのかもしれません。

同時に、悩みがあるからこそ人生は面白い、みたいな感想を持っていたりもします。

<追記>

この度、弊社が意識高い系中島様にご紹介されました。

https://twitter.com/Nakajima_IT_bot/status/976809161076830210

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