家族制度の話

家族が嫌いです。

両親や兄弟個人が嫌いなわけではなく、家族という制度、そして両親や兄弟という役割の存在が嫌いです。

果たして家族は未だに時代に合った制度なのか、ここに考えを書いておきます。

 

家族について

これまでは、家族というのは当然そこにあるものとして絶対視されてきたように思います。

しかし、近代以降育児、教育、仕事、家事、介護など、家族機能の外部化が進んでおり、もはや家族という存在自体要らなくなってきているのではと感じたりします。

特に家庭にいることが心的負担になっている場合については、なおさら存在価値が薄いと思います。

具体的にどうあれという提言はできないのですが、仮に家族制度の消失という極論までいかなくとも、家族制度の絶対性を弱くしていく流れがあっても良いのではないでしょうか。

自律と教育

私の場合、小学生の頃から一人暮らしが夢でした。

ある程度自律できているならば、中学生あたりから半一人暮らしを始めさせる文化ができてもよいと思います。

今までは教育の必要性に迫られた結果、大人になるまでの期間が長くなっていましたが、18歳で成人を迎えるようになるなど、早熟性回帰への方向性が見られます。

教育についてはネットや参考書など、学校以外で習得する方法が発達しています。

今や、教育現場としての学校という役割も、崩れかかっているのです。

ついでに、このことに関連する意見として、日本政府には大幅な飛び級を認めて欲しいです。

人によって成熟度や、文科省の定める教育方針の習得スピードというのは異なります。

現在の日本で飛び級をするには早くても17歳で、期間も一年間だけです。

このことは、米国の生まれの成功者の経歴が語られるたびに、論点として挙げられているように思います。

最近ではABC予想の望月教授などでしょうか。

 

家庭と安定

安定した居場所というのはとても大事であることは実感しています。

以前、自由を求めて安定した居場所のない生活をしていたことがあるのですが、数日できつくなった経験があります。

家庭という帰る場所が明確に存在していることは精神的支えとなり、次の行為へと踏み出しやすくなります。

ただ、安定した居場所を家庭に求めずとも、他の場で事足りるのではないかというのはあります。

安定以外にも、家庭はこれまでは成長や交流の場としても当然有用でしたが、これについても発達した外部機能で賄うことができそうです。

例えば私は兄についてとても尊敬していて、兄という身近な成長モデルがいたからこそ現在の自分がいると考えています。

しかし、本質的な兄でなくても、つまり疑似兄弟的存在が近くにいれば、その役目は満たすのではないかということです。

アニメでいうと、グレンラガンやスクライドが当てはまります。

 

最後に

おそらくこの考えの根本には、自分の家族の信頼性への疑問があると思います。

pha氏も、赤の他人が共同生活している家族という仕組みが気持ち悪いみたいなことを言っていました。

気持ち悪いとまでいかなくても、家族という環境に長く晒されすぎるのはどうかと思うのです。

なんだか強めな主張の記事になりましたが、決して家族のメリットに目をつぶっているわけではありません。

今更思い付きましたが、家族制度の機能には思い出の共有や情の育成とかもありそうですしね。

まあ所詮若造の意見なので、自分が結婚して子供を持ったのならば、全く違う考え方ができるようになりそうです。

<追記>

フランスではもはや“家”の制度が消えているらしいです。

ソースは某掲示板のまとめサイトですが。

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